中世、以降、江戸時代末期まで家島神社は当社と比定されていた。 平安時代後期、比叡山の僧である覚円(1031年-1098年)、門徒とともに坊勢島に渡海し、居を構えた。 ある夜、霊夢を見て、故郷の琵琶湖の景色に似た当地に白鬚大明神を勧請した。 |
由緒 家島白髪大明神縁起の旧伝は、元慶7年比叡山西塔実相院覚円僧都衆会学席の相論より事起り武家に背く事にて播州家島に放さる。 僧都産姓近江の郡主高島内蔵之助秀成三男也其の弟四郎秀景家兄の行衛を愁ひ相共に来往し、永く子孫を此の島に残也り、然し覚円同僧数十人別れを惜み迹を蒙ひ来りて、渡海し、今の坊勢に住居をかまえる。山従集り住し故に故の島の名となれり。僧都或夜不思議の霊夢を蒙り白髪大明神を乙酉9日の日南の湾江を故郷の琵琶湖に准らへ社を造建し、勧請し奉りしより宮浦と号す。誠に当国大小神社174社の其の内に当宮大神24の其の一なり。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
宮浦神社 当社は、家島本島宮地区の氏神神社として鎮座する。諸島総鎮守の家島神社と関係が深い。夏祭りでは当社の火を戴いた上で提灯行列が行われ約1.5km離れた家島神社にその火を移す事によって祭りが始められることからも伺える。 当社は以前、家島白髭大明神を称していたが、明治になって宮浦神社と改称された。 社伝によれば比叡山実相院の覚円僧都が門徒と共に坊勢島に渡海し、或る夜霊夢によって故郷の琵琶湖に準え白髭大明神を勧請したという。以来この地を宮浦と称するようになったと伝える。境内にある元禄5年(1692)建立の鳥居は、以前は海中にあったともいわれ近江の白髭神社を想わせる。 旧の御社殿は、天明5年(1785)に建立され壮麗であったが、痛みが酷く昭和63年(1988)氏子の赤誠によって主要建物全てが改築された。 兵庫県神社庁 |