中臣印達神社
なかとみいだつじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】中臣印達神社(名神大) 播磨国 揖保郡鎮座
   【延喜式神名帳】阿波遅神社 播磨国 揖保郡鎮座
          (境内社)粒坐天照神社
          (合祀)阿波遅神社

   【現社名】中臣印達神社
   【住所】兵庫県たつの市揖保町中臣1360
       北緯34度50分27秒、東経134度32分28秒
   【祭神】五十猛神
       中臣山に坐す神を水神として崇拝し、山麓を流れる揖保川の流路安定と田畑の豊穣を求める古代の自然神信仰を背景に創祀されたのが始まりか。

   【例祭】10月9日 秋季例祭
   【社格】旧県社
   【由緒】宝亀元年(770)6月15日創立
       大同元年(806)中臣神に神対五戸
       正徳3年(1713)3月造営
       万延元年(1860)造営
       明治10年10月10日「中臣印達神社」に復称
       明治12年5月15日県社
       大正5年4月11日 神饌幣帛料供進社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】磐座
   【祭祀】江戸時代は「十二所権現」「雑王権現」と称していた
   【社殿】本殿入母屋造檜皮葺
       幣殿・拝殿・神饌所・社務所・神宝庫・絵馬堂

   【境内社】薬司神社・小種神社・天満宮・厳島神社

播磨国風土記にある天日槍と葦原志挙乎の国占伝承で名高い「粒丘」に比定されている。
境内には式内阿波遅神社が合祀されている。
境内社に式内粒坐天照神社がある。
近世に至るまで社名を蔵王権現と称し、明治10年10月10日願済の上創立当時の社名である中臣印達神社に復称する。


由緒

当社は宝亀元年6月15日の創立と伝へ延喜式の制名神大に列せしも中古より両部神道の為め修験者が社務に干與するにおよびて社背の山上にありし十二所権現と唱ふる木像を本社に合祀の結果近世に至るまで社名をも蔵王権現とのみ称するに至る明治10年10月10日願済の上創立当時の社名即ち中臣印達神社に復称し同年同月(明治12年5月とも)縣社に列せらる。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



中臣印達神社

創建は宝亀元年(770)。『延喜式』に名神大神とあり、古社であり、大神でもある。
 五十猛神は父神であられる素戔鳴尊とともに天照大神が驚きになられるぐらいの、又、国内が混乱するぐらいの新しい文化・文明を大陸より移入。それ以降、国内の農耕・文化・文明は大変な発展をとげたとされる。
 これより、ご霊験あらたかな神と信仰が篤い。そして、大陸・朝鮮半島より樹木の種を持ち帰ったことにより、植林の神とも伝えられている。
 近年では困った時の神頼みの神社として、一言心願成就が密かに人気である。

兵庫県神社庁



中臣印達神社


当社は播磨の国にあって「延喜式」名神大社という由緒正しき古社で創設770年(宝亀元年)で以来1225年の年月を重ねて平成7年にその祭儀を執り行った。しかし幣殿・拝殿の老朽化により屋根の雨漏りがすることとなり修理を余儀なくされるに至った。
今回の修造は氏子・企業・関係各位の御寄附により完成を見たもので改修に際して古代建物の様式を保ち重厚と美観を図ると共に風雨に耐え長期に亘る保存に配慮したものである。
中臣印違神社 宮司 西本和俊

社頭石碑



中臣印達神社

祭神 五十猛命
  創祀 宝亀元年(770)
 例祭 4月10日 10月10日
 社格 「延喜式」に名神大神とあり、古社であり、大神でもある。
 由緒   五十猛神は父神である素戔鳴神とともに、天照大神が驚きになるくらいの、又、国内が混乱するぐらいの新しい文化文明を大陸より移入。それ以降、国内の農耕・文化・文明は大変な発展をとげたとされる。これらより、ご霊験灼(カガヤカ)な神と信仰が篤い。   そして、大陸・朝鮮半島より樹木の種を持ち帰ったことにより、植林の神とも伝えられている
近年では困った時の神頼みの神として、一言心願成就が密かに人気である。

社頭掲示板



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