祝田神社
はふたじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】祝田神社 播磨国 揖保郡鎮座

   【現社名】祝田神社
   【住所】兵庫県たつの市揖西町清水王子前302
       北緯34度51分18秒  東経134度31分31秒
   【祭神】石龍比古命 石龍比売命 (配祀)稻倉魂神
   【例祭】9月2日 例祭
   【社格】
   【由緒】由緒不詳

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿・社務所

   【境内社】王子八幡神社

広い田の中に赤い大きな鳥居が2基建っている。


祝田神社

改築記念
当式内祝田神社は五穀の神にして古来近郷の崇敬厚く集拝者日に増せど神域狭隘社殿腐朽為に神厳を冒すること甚しければ之が改造は多年の懸案なりしが機運漸く熟し昭和10年2月の総会に於て本社境内拡張と社殿改築玉垣新設の議纏り同年5月知事より認可を得て村民協力一致寄附募集に努め遠近の敬神者より五千有余円並に部落内より二千有余円の寄進に依り昭和10年10月27日茲に竣工を見る

社頭石碑



式内祝田神社縁起

式内祝田神社は延喜制小社に列する揖保郡七座の一にして、大己貴神の御子・玉帯志比古大稲男神・玉帯志比売豊稲女神の二柱を祀る。
 案ずるに、大己貴神国を占むる時、二神水無川の水を競ひ、大稲男神は北方越部に流さんと欲し、豊稲女神は南方泉村(出水村)に流さんと欲す。時に男神は山岑を踰へて越部村に流したれば、女神之を見て理に非ずとし、指櫛を以て其の流水を塞ぎ、岑辺より溝を闢きて泉村に流したまひぬ。男神また流を奪ひて西方桑原村に流したれば、女神遂に之を許さず密樋を作りて泉村の田頭に流す。
 是に於て里人五穀の神として泉村の田頭に社殿を営み祀りき。これ当祝田神社なり。
 抑も泉村の田頭たるや、往古の出雲往還に当り、水無川の平野が揖保川の平野に下る傾斜地にして、水無川の豊富なる伏流は各所に湧出して田圃を潤す。播磨十水・小神の清水と称するも亦この地にあり。
 此の如く当社は由緒ある地に鎮座し勧請年極めて古し。不幸にして中古社殿荒廃、当初の景観を存せずと雖も古来ホタノ森(ホタ・ホウタ、ホウタは祝田・ハフリタの転訛)の社として、神威あらたかに人々の尊信厚く、遠近人の参拝絶ゆる事なし。昭和10年10月

社頭掲示板



式内祝田神社

式内祝田神社ハ今日(平成元年カラ1080余年前醍醐天皇延喜時代ニ既ニ此処ニ祀ラレテイタ神社デアリマス。祭神ハ伊和大神ノ子・石龍比古命ト、妹神石龍比売命ノ二柱ト、後ニ稲荷大明神ト云ハレテイル稲倉魂命ヲ祀リ三柱ノ神デアリマス。
播磨鏡ニ祝田神社清水村田地ノ内ニ有リ延喜式七座ノ一也土人ホウタガ森ト云フ、ト記されてイマス。
参考 揖保郡(元ノ)七座粒坐天照神社 阿曽神社 祝田神社 阿波遅神社 中臣印達神社夜比良神社 家島神社
播磨国風土記ニ 美奈志川(現在の中垣内川)ト号ル所以ハ伊和大神ノ子石龍比古命ト妹神石龍比売命ノ二神川水ヲ相競ヒ、妖(セ)ノ神ハ北方越部村ニ流サント欲ス。爾ノ時、妖神山峯ヲ跨ギ之ヲ流下ス。妹神之ヲ見て理ニ非ズト為シ、即チ指櫛ヲ以テ其ノ流水ヲ塞ギ、峯辺ヨリ溝ヲ闢キ泉村ニ流シオトシキ。爾ニ妖神復泉底之川ニ至リ流ヲ奪ヒテ西方桑原村ニ流サントス。是ニ於テ妹神遂ニ之ヲ許サズ蜜樋ヲ作り泉村ノ田頭ニ流出ス。此ヨリ川ノ水絶エテ流レズ。故に無水川と号ク。ト記サレテイマス
(註)泉村ハ現在ノ清水デアリマス

由緒書



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