梛八幡神社
なぎはちまんじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】粒坐天照神社(名神大) 播磨国 揖保郡鎮座

   【現社名】梛八幡神社
   【住所】兵庫県たつの市神岡町沢田38
       北緯34度53分2秒  東経134度33分54秒
   【祭神】足仲彦命 品陀和気命 息長足姫命
   【例祭】10月20日 例祭
   【社格】
   【由緒】和銅6年(714)播磨風土記に記載
       天平宝字7年(763)新羅軍船当国に攻め入り戦勝祈願
       元禄2年(1689)4月29日火災焼失

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿・絵馬殿・社務所・手水舎

   【境内社】厄神社・淡嶋神社・金刀比羅神社

『神功皇后三韓より凱戦のおり、北方に紫雲たなびき、霊香漂うを感ぜられ、導主命に尋ねしめ給う。何処からともなく獅子が現れ道案内をなし、梛山白壇の木の下に案内す。霊香ここより発し、神霊地であることを知り、崇へ神を祭る。』と社伝にあり、これが神社創立の由来であり、神事獅子舞の起因とされている。


由緒

当梛八幡神社の創立は不詳でありますが和銅6年(凡そ1367年前)に編された播磨風土記を始め播磨鑑、播磨国式内外神社記、峰相記微考、播磨名所巡覧図絵等に当社の名がでており、古くから大社として広く里人等の信仰厚く崇敬された神として鎮座されており、神社名も那祇八幡宮、那祇山八幡大菩薩、上岡明神那祇八幡宮、梛八幡宮そして明治七年二月梛八幡神社として旧社格郷社に列せられ、村より幣帛供進の神社とされました。社伝によると、神宮皇后三韓より凱戦の砒、北方に紫雲たなびき霊香ただようを感ぜられ附近に神霊地ありとおぼしめされ、道主命に命じ尋ねしめ給う、この時何処からともなく獅子が現らはれ道案内をして、無事この梛山白檀の木の下に案内する、霊香ここより発しており、山には榊の木が繁茂して神霊地であることを知りこのこと奏上する。この白檀の木御神霊木として崇へ神を祭る、これ当神社創立の始めで神事獅子舞の起因でもある。また播磨風土記には出雲国阿菩大神が大倭へ上られる途中、この地においてその乗られていた船を覆して坐し給う、この姿阜に似ているので神阜となづけ給うこの阿菩大神を上岡里上岡明神に祭る・・・とあって、神岡の郷名となり郷名も「加無都乎加」神阜、上岡、神岡と変っているように思はれる。
天平宝字7年新羅軍船当国に攻め入り家嶋、高嶋に陣を取る。国司藤原朝臣貞国追討の命を承け出陣に当り当那祇八幡大神外五社六寺に戦勝祈願をして魚吹津より発向し大勝利を得る貞国神慮を感謝し長く幣帛を献じ厚く崇敬されたという凡そ1230年前のことであります。その後代々の国司地頭領主等の崇敬篤く、播州那祇の宮、上岡那祇の獅子舞の宮として近郷近在広く衆庶に崇敬され当社の例祭秋祭の翌日より稲刈りが始まるといはれ常に里人と共に日々が存った御祭神であります。元禄2年4月29日残念ながら火災に罹り書類一切焼失しており不詳となったのであります。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



梛八幡神社

梛八幡神社御由緒
祭神
御本社 足仲彦命
    品佗和気命
    息長足姫命
摂社 淡島神社 豊玉姫命  女人健康招福の神
   厄神社  武内宿祢命 厄除長寿延命の神
境内末社 松尾神社   大山作命 醸造・建設の神
     梛山稲荷神社 宇賀魂命 荒れを治め目的達成の神
     金比羅神社  大物主命 生産・商売・家業繁栄の神
     阿菩神社   阿菩大神 治め鎮める神
     辻ノ木若宮神社 旬々廼馳命 治め鎮める神
     地神社大地主命 治め鎮める神
祭神 八幡宮を勧請し崇め奉る
吹風のあらふる神のさはへをも
 祈りこそしるきなぎの宮ゐわ
       那祇山 宇野下野
当神社の創立は不詳であるが、今からおよそ1200年前の天平宝字7年に新羅の軍船が我が国に攻め来て家島に布陣した時、播磨の国司藤原朝臣貞国朝廷より追討の命を受け出陣に当り、当梛八幡宮外五社六寺に戦勝祈願をして出陣し大勝を得る。貞国御神威を深く感謝し、長く幣帛を泰献する。と、古書「峯相記」に記録されており、又、千年前の延喜の式内外社の制定に当り大社に列せられ代々領主の信仰厚く、常時幣帛を献じ秋の大祭には領主、又は、寺社奉行が参拝され、毎年奉納する神事獅子舞、及び大相撲を近郷近在より参拝する里人と共に参観され、広く澤田の宮、獅子の梛の宮と慕われ、崇敬された古いお社です。
この神岡の里は神代の昔、出雲の阿菩大神が畝火、香山、耳梨の三山の争いを諌めるため、大和に向う途中、この梛山に来た時争い止むと聞き、乗ってきた船をこのお山に覆して、御在所(座)とされたところから神の阜(神岡)と名付けられ、後年御祭神の品佗和気の命が播磨の国を巡行の砌、紫雲たなびく神霊地を感受され、導主命をして尋ねしめ給う時、どこからともなく獅子が現れ、先導し榊の茂る中に生える霊木、白檀の木の下へ案内されたところから以後、梛の大神の御神威を畏み神恩に報いる為、秋祭には獅子舞を神事として奉納することとなり、毎年伝承され来て江戸時代中期に奉納順の当番制度を確立し、休む年無く継承奉納されて、昭和44年3月兵庫県重要無形文化財の指定を受け、昭和50年2月神戸新聞社の推挙により日本神事芸能を代表してフランスニースカーニバル親善使節として参加し、「シャバニースゴッドライオン」と、称賛を博し無事大任を果して来ました。
斯く、当社は獅子に寄させ給う神霊を似ってすべての悪魔を祓い退け清めて新生気を授け、幸を賜わる霊験あらたかな、神通力厳しい大神梛八幡神社です
寄贈 妹尾元和 平成元年11月

社頭掲示板



梛八幡神社

御神木の社伝
梛八幡神の元宮と称える
社伝によると神功皇后播磨巡幸の砌北方に紫雲がたなびき、霊香のただようを感ぜられ神霊地なりとおぼしめされ、道主命に命じ尋ねしめ給う。この時何処ともなく獅子が現れ、この那祇山白檀の木の下に案内する。この霊木より霊香を発しており、山には榊の木が繁茂しておりこれこそ神霊ちであると奏上す。依ってこの白檀の霊木を御神木と称へ元宮と崇拝し祀き祭る。これ当神社創立の始めで神事獅子舞の起因でもある。又古く阿菩大神もここに坐し給い神阜と名付け給い、上岡明神として崇へ奉り来る。

社頭掲示板



梛八幡神社

当梛八幡神社の創立は不詳でありますが、和銅6年(713)に編された「播磨風土記」をはじめ「播磨国式内外神社記」「峰相記」「播磨名所巡覧図絵」等に当社のことが記載されており、神社名も那祇八幡宮、那祇山八幡大菩薩、上岡明神那祇八幡宮として古くから広く里人等の信仰も篤く、明治7年(1874)梛八幡神社として郷社に列せられ、神岡郷幣帛供進の神社とされました。
 伝えによると神功皇后、三韓より凱旋の砌、北方に紫雲たなびき、霊香漂うを感ぜられ、道主命に尋ねしめ、何処からともなく獅子が現れ道案内をして榊の樹が繁茂している梛山に案内する。霊香はここより発しており、神を祀ったと云われております。
 また貞和年間(1340年代)成立の「峰相記」には、天平宝字7年新羅の軍船当国に攻め入り、家島、高嶋に陣を取り、国司藤原朝臣貞国、追討の命を承け出陣に当たり梛八幡社等5社6寺に異賊調伏を祈願し、永く幣帛を献じ篤く崇敬されたという。
 その後代々の領主をはじめ近郷近在広く衆庶に播州那岐の宮、上岡獅子舞の宮として崇められ、親しまれて、日々常に里人と共に存る御社であります。

兵庫県神社庁



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