梛神社
なぎじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】粒坐天照神社(名神大) 播磨国 揖保郡鎮座

   【現社名】梛神社
   【住所】兵庫県姫路市林田町下伊勢字上ノ段492-1
       北緯34度53分19秒  東経134度36分22秒
   【祭神】天照大神
       祭神として天照大神を祀るが、古くは伊勢明神を祀っていたという。

   【例祭】10月10日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】垂仁天皇の26年祭神降臨
       その後の由緒不詳

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿・手水舎

   【境内社】

人皇第11代垂仁天皇の御宇26年、村の西南、七五三獄より東北、隅窟山に至り、十二旒の幡、天より降った。当時今の社地に梛の大木ありて八町四方に繁茂せしが、其一族の幡、此樹の枝にかかったと伝。


由緒

人皇第11代垂仁天皇の御宇26年、村の西南、七五三獄より東北、隅窟山に至り、十二旒の幡、天より降りし時、今の社地に梛の大木ありて八町四方に繁茂せしが、其一族の幡、此樹の枝にかかり、天照大神、顯れ給ひ、則ち縣主、葺原飯、此事を天皇に奉聞し、十二幡の降りし各地へ碑を立て、之を表せしが、十八世の後胤、飯粒に至り、良田四拾町を安閑天皇に献じ勅を奉じて右立碑の地に就て、十二字を構へ、天神七代、地祇五代の十二神を奉崇梛の大木を斬り、其跡に天照大神を祭る。是今の梛神社の事なり云々。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年






梛神社

梛神社(村社)
祭神 天照大神
垂仁天皇26年に、天から十二の幡が降り、その地に石碑を建てた、その一つが八町四方に繁茂する社地の梛の大木に掛かり、天照大神が現れたと言われている。
梛の元には県主葦原飯照が居住していた。
飯照18代目飯粒が良田四十町を安閑天皇に献じ、勅を奉じ石碑の地に天神七代地神五を祀る。
この時、梛の大木を切り倒した跡に、天照大神を祀り梛神社と名づけられた。
現在(平成23年)も、樹令120年近いご神木を含め、梛が植えられている。
社殿に、明治時代製作の備前焼の狛犬一対あるのが珍らしい。

社頭掲示板






梛神社

梛神社略縁起
抑当国天坐の御座の始と申し奉るは人皇11代垂仁天皇御宇26年丁巳10月東天より光明赤■として紫雲は七五三獄より窟山へたなびき両峯一度に光明を放ち天照大神顕れ給うその時御幡12旒天より降り(七五三獄に2旒、麓に3旒、窟山に2旒梛の大木有り枝葉八町四方に繁茂せしがこの梛に3旒北渓口の清岩に2旒)天照大神梛の大木に移らせ給う即ち県主葦原飯照この事を天皇に奏聞し12旒の降りし各地へ碑を建て之を表せしが18世の後胤葦原飯粒に至り大伴大連金村の問を受け良田四十町を27代安閑天皇に献じ(535年日本書紀巻18に記載)勅を奉じて石立碑の地に就て十二宇を構え天神七代地神五代の十二神を奉崇す。即ち梛の大木を斬りその蹟に天照大神を祀る。是今の梛神社の事なり。播磨古蹟考に伊勢神明伊勢村に有り延喜式(神祇十)に記す揖保に座す天照神社とは是なりと有り。
梛神社

社頭掲示板



梛神社

伊勢の里は『播磨国風土記』の伊和大神の話の中で『伊勢野』の名で記され、神子の伊勢都比古、伊勢都比売二柱の神を祭り、おかげで漢人等との紛争も止み、静安を得たとあり、早くから外来文化の摂取も行われた豊かな里である。
 その下伊勢の地にあって、当梛神社は創立年代不詳だが古記によると、人皇第11代垂仁天皇26年丁巳10月、伊勢村の西南七五三嶽(しめがたけ)より東北隅、窟山にいたり十二旗が降った時、今の社地に梛の大木が八丁四方(約900平方メートル)繁茂しており、その一旗が此樹の枝にかかり、天照大神が現れになった。このことを時の縣主が天皇に奉聞し、石碑を建立した。18世の後胤、飯粒に至って良田40町を安閑天皇に献じ、勅を奉じ、十二流を讃えて天神七代、地神五代の十二神を奉崇し、梛の大木を切り、その後に天照大神を祀ったとされている古社である。
 境内には今も受け継がれた梛の樹が茂っており、拝殿前には珍しい伊部焼の狛犬一対も備わり、御神威あらたかな御社として、広く里人等より崇敬されている。

兵庫県神社庁



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