岩屋神社
いわやじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】伊和都比売神社 播磨国 明石郡鎮座
   【延喜式神名帳】弥賀多多神社 播磨国 明石郡鎮座

   【現社名】岩屋神社
   【住所】兵庫県明石市材木町8-10
       北緯34度38分38秒、東経134度59分17秒
   【祭神】伊弉諾尊 伊弉册尊 大日靈尊 月読尊 蛭子尊 素盞嗚尊
   【例祭】10月第2日曜日 例大祭
   【社格】旧県社
   【由緒】成務天皇13年6月15日淡路島岩屋より勧請
       天正3年(1575)6月炎天のため雨乞
       明治7年2月郷社
       明治12年7月県社
       昭和20年7月6日焼夷弾空襲で全焼

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は『岩屋恵比寿』と呼ばれていた
   【公式HP】 岩屋神社
   【社殿】本殿流造銅葺
       拝殿・社務所

   【境内社】稲荷神社・八幡神社
   【別当】西隣の天台宗長林寺が社僧であつた

成務天皇13年6月15日勅命により、淡路島岩屋より御遷になり東播の古大社として古くより崇敬篤く、明石城主の産土神として尊ばれ社領十二石五斗を賜わる。亦当社は式内社伊和都比賣神社に比定される。


由緒

成務天皇13年6月15日勅命により、淡路島岩屋より御遷になり東播の古大社として古くより崇敬篤く、明石城主の産土神として尊ばれ社領十二石五斗を賜わる。亦当社は式内社伊和都比賣神社に比定される。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



岩屋神社

式内社岩屋神社(元県社)
御祭神
伊弉諾尊 伊弉册尊 大日靈尊 月讀尊 蛭子尊 素盞嗚尊
御由緒
成務天皇13年6月15日天皇の勅命により淡路島岩屋より御遷になりし東播の古大社として古くより崇敬篤く明石城主の産土神として尊ばれ社領十二石五斗を賜れる亦当社は式内社伊和都比売神社に比定される。
家内安全、商売繁昌、招福の神災厄消除縁結びの神として御神得広く崇敬される。
オシャタカ舟神事(明石市指定無形文化財)
淡路岩屋より御遷なりし当時を偲ぶためそれ以後連綿として行われている神事で夏大祭に行われている。成務天皇の勅命により当浜の名主(六人衆という)が新船を造り一族郎党を引き連れ淡路に渡り御皇神を船に遷し奉り帰路に着いた所途中八百潮早く波風高く船を当浜に着ける事が出来ず西の方林崎前の赤石(明石の紀元)の所で一夜の泊まりをなしその時神前にお供えしたのが現在も特殊神饌として伝わっている(現在も宵宮の朝松江海岸にて行われている)朝旦に至って波風もおさまり今の地に遷座されたのである行事の内容は明石浦の漁業青年達が一艘の船に5名約30名が選出され船に神々を奉鎮し立泳しつつ頭上高く持ち上げオシャタカー(よくおいで下さいました)と唱えつつ前方に押し進め■■式を行う往時は岩屋まで行われしが現在は松江海岸まで行われる旧暦6月15日に行われていたが近年は7月第三日曜日に行われる。

社頭掲示板



岩屋神社

成務天皇13年(143年)6月15日勅命により、淡路島岩屋より御遷になり東播の古大社として古くより崇敬篤く、江戸時代に入ると明石城主の産土神として尊ばれ、例年藩主自らが参拝。社領12石5斗を賜わる。
 元文2年(1737年)には藩主松平直常の世継、松平直純が11歳になり「鎧始めの儀」の際に当社に参拝。以後、世継の鎧始めの儀の際には当社への参拝が慣例となる。
 明治7年2月郷社に列し、同12年7月に県社に昇格。亦当社は式内伊和都比賣神社に比定される。(『神名帳私考』『神名帳考證』『神社覈録』『金波斜陽』による)
 社殿は、明石海峡をへて淡路島に對し、社の東の明石港には淡路との連絡船が発着する。
 当社の北方約300メートルを西国街道が東西に通ずる。
 当社付近は古くから大明石村と称し、(慶長播磨國繪圖)市名の起源となった。

公式HP



岩屋神社

成務天皇13年6月15日勅命により、淡路島岩屋より御遷になり、東播の古大社として古くより崇敬篤く、明石城主の産土神として尊ばれ社領十二石五斗を賜わる。
 当社は式内社伊和都比売神社に比定される。
 元県社。

兵庫県神社庁



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