稻爪神社の現社地は、もと式内社伊和都比売神社の鎮座地であつたが、中古に稻爪神社をここに遷座したため、地主神として本社の左に並べて鎮座したという。 慶応4年までは境内に社があった。しかしその後合祀の形跡もなく所在不明となっている。 本社祭神にも伊和都比売命はなく境内社にも見あたらない。 |
由緒 稲爪神社御由緒 推古天皇の御代、三韓我国を傾けんとして鉄人を大将として八千余人来攻したる際、伊予国小千益躬、之を迎え討てとの勅命を受け、氏神愛媛県大三島大山祇神社に祈願し、播州明石にて迎え討つ、此の時大山祇大神の瑞験によりて一天俄にかきくもり、稲妻稲光の中に鉄人を平げることが出来た、依って大山祇大神の現われ給うた地に一社を建て、稲妻大明神と崇め奉り、後世稲爪神社となった。 右神社創立の縁起の如く一願成就の神社である。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
稲爪神社 稲爪神社略誌 当社は創建を推古天皇の御代とされ、凡そ1400年の悠久の歴史を有する由緒あるお社でございます。 【縁起】 当社は推古天皇の御代(西暦592〜628年御在位の女帝)に三韓より不死身の鉄人率いる軍勢が来冠し、九州勢これに立ち向かうも勇猛果敢な軍勢を退治すること能わず、伊予國の国司小千益躬が勅命を受け、討伐を企て一族の守護神三島大明神(現愛媛県大三島御鎮坐の大山砥神社)に国家の厄難祓いと先勝祈願をなす。その後守護神枕元に現れ給い、鉄人の弱点は足の裏であるを告げ、これに矢(鬼指の矢と称する)で射抜けとの御瑞験有り。 益射はこれを信じ降参の振りを演じ、隙を見て討伐の意を固め先導を試みる。明石まで到りたるところ、鉄人白砂青松の浜の絶景に魅了せられたるにより休憩とりたる処、天空俄にかき曇り大雷光降りかかり、これに驚愕したる馬から鉄人転落となる。足裏を見せたるところ、益躬守護神の御瑞験ひらめき、直ちに足裏を矢にて射かけたるところ、鉄人の足裏から脳天まで射貫きたりて一命を落とすなり、軍勢これにおののき降参に至りて、雲散霧消の如く退散し果てる。益躬、神の御神徳現れたるこの地に一社を創建し守護神三島大明神を勧請し給いて崇め奉りたるとされる。この社は創建時は稲妻神社と称されしが、後年に至り稲爪神社と改称され現在にいたる。 【御祭神】 大山砥大神[天照皇大神の御兄神で繁盛・智恵・生命健康を授け、厄難を祓い給う神] 面足大神[天津神として崇め奉る](天上の神であり、美麗な男神で、物事の完成を授け給う神) 惶根大神[天津神として崇め奉る](天上の神であり、頭脳明晰な女神であり、英知を授け給う神)また面足大神と惶根大神は夫婦神であり、良縁を授け給う神として崇敬を受ける。 伊和津比売大神[延喜式内社]古くは現本殿の西側に鎮座され、現在はご本殿に合祀されています。 宇留大神[延喜式内社]播磨風土記によれば稲爪神社とされ、現在は本殿に合祀されている。 稲爪濱恵比須神社[商売繁盛の神として、摂社として本社本殿の東に祀られる。] 末社[白玉稲荷社・猿田彦社・高倉稲荷社庚申社(八大龍王神、猿田彦神、白龍神が祀られる。)] 【御神徳】 当社神々の御神徳により、勝運、厄難払い、生命・健康、受験、初宮、安産、病気平癒、交通安全他の御神徳が厚く、多くの御参拝がある。 【例祭】 毎年10月の第二月曜日〔体育の日〕の前日の日曜日を本宮祭、前々日の土曜日を宵宮祭と定め大祭が齋行される。宵宮祭には大統を初め早口流し、大蔵谷の獅子舞の宮入神事が奉納される。 【歳旦祭】 毎年元旦午前0時に執行され、多くの参拝がある。 【初ゑびす祭】 毎年1月9・10・11日に齋行される。ゑびす大國・弁財天・福娘の巡幸が執行される。 商売繁盛を祈願し、多くの参拝者がある。 【春祭】 毎年4月9日祭典執行最寄りの日曜日に大蔵谷獅子舞[春の子獅子]の宮入が執行され賑わう。 【夏祭】 毎年7月9日の最寄りの土・日曜日にそれぞれ宵宮祭と本宮祭が齋行され、『茅の輪の神事』が行われる。 【特殊神事】 牛乗りの神事〔稲爪神社の創建縁起を伝えると云う。神事として本宮の夕刻神社内で牛乗りの陣屋と儀式を司る大統の当宿との間を、儀式のやり取りのための口上を述べながら七度半行き来し、最後に牛乗りが『千年も万年も大蔵谷の浦において、千と万と大祝い小祝いつづき候』と幸運を授ける呪文を唱える。八幡神社から稲爪神社への参詣行列の間『福銭』を撒きながら進む。幸運を授かろうと多くの参拝者が街道をうめる。 〔兵庫県指定無形民俗文化財〕 大蔵谷の獅子舞 起源は戦国時代の末、九州の大蔵藩の秋月種実が、上洛のおり、たまたま当社の宵宮に大蔵宿に泊まり、ほろ酔い機嫌の中に伝家の獅子舞を舞った事を発端として、大蔵谷村の先祖達がこれを宮入奉納することにより伝承してきたとされる。 〔明石市指定無形文化財〕 大蔵谷の難口(早口)流し 江戸時代の風俗の一端が伺る儀式である。浴衣姿の男が扇子で顔を隠しながら、三味線や太鼓のお難子に乗せてなにやら不思議な唄をうたう、滑稽な中にもゆったりとした安らぎの時が流れる。 右各神事は宵宮祭に神門の前で宮入奉納を執行し、宵宮・本宮両日氏子の家門をお祓いに廻る慣わしである。 【縁起を伝える文献】三島宮御鎮坐本縁 古文書 稲爪大明神縁起[越智依通](天正六年織田信長三木城主別所長治を征討の砌高山右近の三木城攻めの災禍により稲爪神社と共に消失したところの縁起古文書を改め綴られたものである)(貞享3丙寅年5月9日) 社領寄進状神領五石寄進松平山城守忠国公(慶安4年) 社領寄進状神領新田開地石高一石寄進松平日向守信之公(寛文2年) 社領寄進状神領新田開地石高五石余寄進松平若狭守直明公(貞享3年) 祈願祝詞松平若狭守直明公(元禄10年) 棟札本殿再建(天正7年) 棟札本殿再造(寛永12年) 棟札本殿造営(寛保元年) 【社殿の変遷】 天正6年高山右近による災禍により本社炎上につき、一時権現山に祠を建て祀る。 天正7年現在の処に仮殿を再建 寛永12年改築 寛保元年改築 万延2年本社屋根葺替大修繕 昭和48年本社屋根葺替大修繕 昭和54年7月本殿再建 【楼門】(神門)享保2年建築楼門に彫刻有り、素盞鳴大神の大蛇退治の彫刻は古くより左甚五郎の作と伝わる。 【現境内地】1300坪余 由緒書 |
稲爪神社 推古天皇の御代、三韓我国を傾けんとして鉄人を大将として八千余人来攻したる際、伊予国小千益躬、之を迎え討てとの勅命を受け、氏神愛媛県大三島大山祇神社に祈願し、播州明石にて迎え討つ。 此の時大山祇大神の瑞験によりて一天俄にかきくもり、稲妻稲光の中に鉄人を平げることが出来た。 依って大山祇大神の現われ給うた地に一社を建て、稲妻大明神と崇め奉り、後世稲爪神社と改称。 兵庫県神社庁 |