播磨風土記によると須恵器文化を持ち込んだ天日槍が渡来時に持ってきた「赤石の玉」「羽太の玉」を奉納したことから赤羽神社と呼ぶようになった。 |
赤羽神社 赤羽神社由緒 社名 当社は延喜式内社の一社にして播磨国50座の内、明石郡9座の内の一座なり。 延喜式当時の社名の清濁については「アカハ」と読むか、「アカバ」と濁るのかさだかでない。現在は濁って「アカバ」と称する。 鎮座地 兵庫県神戸市西区伊川谷町潤和1445番地 地名「潤和」は、万葉集に左記の通り2首読まれる。 秋柏 潤和川べの しぬのめの 人にしぬべば 君にたへなく 朝柏 閏八河邊の しぬのめの しぬびて寝れば 夢に見えけり 井上通泰は、播磨国明石郡伊川谷村の「潤和」が有力と説く。 御祭神 天羽赤玉命 伊弉諾命 軻遇突知命 大日靈貴命 天羽赤玉命は伊弉諾命の御子高魂命の孫とも伝えられ、玉連造、玉祖連の遠祖と仰がれる。天明玉命、天豊玉命、玉祖命、天櫛玉命はこの神の別名といわれる。 天照大神が天岩戸にお隠れの時、八坂瓊之五百筒御統曲玉を造り大神を慰めたといわれる。 由緒 社伝によると聖武天皇18年勧請と伝うる。この18年を天平18年とすれば、翌年は奈良東大寺の大仏鋳造を始めた年になり、御即位より通算した天平13年とすれば国分寺建設の詔が出た年となる。この頃に印南の東端の一角に当社が建設されたことになり、延喜の撰定をさかのぼること百五・六十年前のこととなる。また、一説には当社の御祭神を垂仁天皇の御代、天日鉾が将来した「羽明玉」と考えることにより赤羽神社の名が起こったとされ、この赤羽神社に関連して明石郡の郡名が起こったとされる。 平成9年西区ふるさと自慢百選に指定される。 社頭石碑 |
赤羽神社 創立年不詳。社伝によると、聖武天皇18年勧請という。聖武天皇のご在位期間には、「神亀」と「天平」の二つの年号がある。この18年を天平18年(746)と考えると、翌年は、奈良の東大寺の大仏鋳造を始めた年になる。また、18年をご即位から通算してみると天平13年(741)であり、この年は国分寺建設の詔が出ている。社伝によるこういった頃に、この草深い印南の東端の一角に当社が建設されたことになり、延喜の撰定をさかのぼること150〜160年前の事となる。明治7年(1874)、村社となる。 『播磨名所巡覧図絵』では、赤羽神社の御祭神を、垂仁天皇の御代、天日槍が将来した「羽明玉」と考えたうえ、「明石郡」の郡名の起原もここからだという。赤羽神社に関連して明石郡の郡名が起り、出石神社と関係があるというのも、誠に興味深いものである。鎮座地は明治初めより潤和といわれている。『万葉集』には二首読まれているが、この処かどうかは詳でないが、井上通泰は、「潤和はいづくか。今播磨国明石郡伊川谷村の大字に潤和と書きてジュンナと唱ふる処あり。或いは是か。」と説いている。 兵庫県神社庁 |