堅田神社を弥賀多多神社に比定する説と、境内社弥賀多多神社を比定する説がある。 弥賀多多神社は弘仁6(815)年勅願寺梵天山宝珠寺鎮守の社として創建され、延喜2(903)年延喜式内社弥賀多多神社と称す。 天元2年(979)正月11日神戸市垂水区(旧明石郡)櫨谷町長谷75番地鎮座郷社諏訪神社より勧請したと伝えられる。 堅田神社に隣接する旧別当寺院宝珠寺の大師堂に奉祀する金幣の幣串に「大梵天王」の金字が記されている。この金幣は、明治初年堅田神社から奉遷したもので、この時村人数十人に夢のお告げがあつて、再び神社に帰りたくないとのことであつたと伝える。恐らくは旧御神体であつたのであろう。 |
堅田神社 当社は、天元2年(979)正月15日の創建と伝えられる。 神前手洗石に、「天文6年(1537)酉正月吉日」、また数基の石灯籠に「宝暦七丑年(1757)8月吉日」、「寛政元酉年(1798)8月吉日」、「嘉永二己酉年(1849)」、「嘉永七寅年8月吉日」、また、鳥居には「享和2年(1802)戌8月吉日」の銘が刻まれている。 本殿は、桧皮葺き入母屋造で、幣殿は萓葺き切妻造で、拝殿は瓦葺き入母屋造である。 長納屋、鳥居、数基の石灯籠もあって、広い境内と杜を有し、市民公園として親しまれている。 近年、西神ニュータウンの発展と、隣接している関係から(神戸高塚高校から徒歩3分)、その地区からの参拝者も増えている。 黒田地区、繁田地区の堅田神社は当堅田神社が分かれたものであるといわれている。 兵庫県神社庁 |