惣社
そうしゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】物部神社 播磨国 明石郡鎮座

   【現社名】惣社
   【住所】兵庫県神戸市西区伊川谷町上脇1005
       北緯34度40分39秒、東経135度1分14秒
   【祭神】大己貴尊 素盞嗚尊 経津主尊 武甕槌尊
   【例祭】10月9日 例大祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】延久3年(1071年)に再建と伝
       延文3年(1358)太山寺密教院定喜法印によつて勧請とも伝

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「惣社神社」と称していた
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】
   【境内図】 境内図

社伝によれば、神功皇后が三韓征伐からの帰途、当地に立ち寄り大己貴尊を祀ったのが当社の始まりという。
その後、衰微していたが延久3年(1071年)に再建されたと伝えられている。


惣社復興事業記念碑

惣社は、大己貴尊、素盞嗚尊、経津主尊、武甕槌尊を祀り、物部神社とも称され、延久3年(1071)の再建と伝えられている。延喜式の制に於いては小社に列し、伊川谷の総氏神として崇められ、明治7年(1874)には郷社に列せられた崇敬篤き神社である。
旧社殿は宝暦11年(1761)に造営されたものであり、社殿の老朽化に加えその後平成7年(1995)阪神淡路大地震に遭遇し、甚大な被害を受けたが、逸速く氏子崇敬者より多大な浄財を得て平成7年(1995)建設委員会を立ち上げ第一期工事として「拝殿の再建」を行ない、次いで復興委員会を組織して第二期工事として「本殿解体修復」「玉垣及び石積」「境内社建替」「手水社建替」工事に着手、8年の歳月を要し、平成16年(2004)に完成し、創建当初の様相を見るに至る。
此処に記念碑を建立し永く後世に語り継ぐものである。

社頭石碑



惣社

神功皇后が、朝鮮遠征の帰途、明石川から伊川を船でのぼり、ここで一休みして、「大国主命をここに祀れ」と命じたのが、この惣社の創始であると伝えられている。創立年代は詳らかでないが、後三条天皇の延久3年(1071)9月再建し、太山寺密教院の定喜法師の勧請と伝える。ここでいう勧請とは、再建の時のことをいうのであろうと思われる。
 また、『延喜式』の物部神社、『国内鎮守大小明神社記』所載の明石郡九座の一つ惣部明神を、当社にあてている。5世紀後半には大和王朝が確立し、明石の囲も国造によって治められる事になり、6世紀には、大和王朝の物部系の郡司により、郡中の神社の神々を集めて祀ったことから、13世紀の鎌倉時代以降は惣社といわれるようになった。
 また、江戸時代、明石城主の崇敬篤く、三石の黒印領を寄せている。神社背後の鬼神山には数基の古墳がみられ、調査の結果、鏡や土器の形式から四世紀のものと推定され、早くから文化の進んだ地域であったことがわかる。
 現在の本殿は、宝暦11年(1761)に、旧社殿の古材を用いて造営されたものである。

兵庫県神社庁



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