この地は細田住吉神社の旧社地とされ、社伝によると、住吉神社は天平勝宝6年(754)宮山に勧請され、永禄2年(1559)に、宮山の高台から対岸の川べりの現在地に移つている。 今のこの可美真手命神社のある地が元々摂津住吉神社の社家である津守連が住吉神社を勧請したところであって後に住吉神社が現在地に遷座されたあと本宮として残された場所であるということである。 |
可美真手命神社 当社は、押郡谷町細田に鎮座する住吉神社の東、標高40メートルの小高い山上に鎮座しており、成務天皇19年(149)3月9日の創建と伝えられ、『延書式』にいう物部神社である。 社地は山林1町8反9畝18歩を有し、この山を「宮山」または「元住吉山」と称し、天平勝宝6年(754)9月13日、摂津国住吉大社の社家であった津守連が、楯神・鉾神と共に住吉大神を勧請した最初の鎮座地で、現在は小さな御社のみが建っている。 この元住吉山は、昭和3年(1928)に、直良信夫氏の調査によって、段丘裾部から縄文土器が発見され、「元住吉山遺跡」と名付けられ、西日本における縄文時代後期後半の標本遺跡となっている。 昭和50年(1975)の道路建設に伴う調査では、頂上平坦部より、弥生時代中期から後半にかけての土墳墓と考えられる遺構が発見され、更に、昭和58年(1983)の調査でも、縄文時代後期後半の土器が出土している。 兵庫県神社庁 |