神武天皇の御代、大歳神を迎えて村を開き、氏神を勧請し、春日四所大明神が天降られたので宇留宮に奉齋したと伝えている。 本来の祭神は稻倉魂命、大歳神であり、此の平野庄の稻魂の守護神ではなかつたかと思われる。 口伝によれば、旧西戸田村に元春日の地名並びに旧社地があり、何時の時代かに宇留山に移し奉つたと云う。 また、当初は飛谷に鎮座されていたが、斉明天皇六年(660)にこの宇留山に遷ともいう。 当社が春日大社の元宮との説もある。 |
由緒 用明天皇2年2月15日の創立と傳へ齋明天皇6年9月及び嵯峨天皇弘仁12年9月の再度社殿を再建す延喜式に明石郡九座宇留神社とあるは當社にして中世大和國春日神社と御同體の故を以て春日神社と稱す享保6年8月社殿を再営し明治7年2月村社に列せらる 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
宇留春日神社 ご祭神・由緒 神武天皇一族が明石川を船で上り、この平野地区に水田を開き、一人の皇子を残して天皇は東の大和へ向かった(向宇留)といういい伝えがあり、当初は飛谷に鎮座していたが、斉明天皇6年(660)に今の宇留山に遷り、宇留宮・宇留の神社と呼ばれ、天皇が大和へ旅立つ前に遠望した石が遥拝所石碑として今も残っている。 『兵庫県神社誌中巻』に、「用明天皇2年(587)2月15日の創立と伝へ斉明天皇6年9月及び嵯峨天皇弘仁12年9月両度社殿を再建す延書式に明石郡九座宇留神社とあるのは当社にして中世大和国春日神社と御同体の故を以て春日神社と称す…」と記されている。 本殿・幣殿・拝殿は18世紀後期の建造物で、また、昭和53年(1978)に大修理した能舞台も同時代のもので、いずれも平成11年(1999)2月に神戸市指定有形文化財に指定された。 祭 神/武甕槌命・経津主命・天児屋根命・姫大神 祭行事/年中行事の主なものは、大人神輿が氏子内を巡行する4月の春祭りと10月の秋祭りであるが、特に秋祭りには、ふとん太鼓三台・神輿一台・鼻高天狗・高提灯・祇園ばやしや、平成9年(1997)から復活した獅子舞等々の行列が巡行し、氏子地である西戸田・宮前・大畑・印路の平野地区の秋祭りとしては、当社の祭りが最も大きく勇壮である。 公式HP |
宇留春日神社 神武天皇一族が明石川を船で上り、この平野地区に水田を開き、一人の皇子を残して天皇は東の大和へ向かった(向宇留)といういい伝えがあり、当初は飛谷に鎮座していたが、斉明天皇6年(660)に今の宇留山に遷り、宇留宮・宇留の神社と呼ばれ、天皇が大和へ旅立つ前に遠望した石が遥拝所石碑として今も残っている。 『兵庫県神社誌中巻』に、「用明天皇2年(587)2月15日の創立と伝へ斉明天皇6年9月及び嵯峨天皇弘仁12年9月両度社殿を再建す延書式に明石郡九座宇留神社とあるのは当社にして中世大和国春日神社と御同体の故を以て春日神社と称す…」と記されている。 本殿・幣殿・拝殿は18世紀後期の建造物で、また、昭和53年(1978)に大修理した能舞台も同時代のもので、いずれも平成11年(1999)2月に神戸市指定有形文化財に指定された。 兵庫県神社庁 |