春日神社
かすがじんじゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】家津神社 越前国 坂井郡鎮座

   【現社名】春日神社
   【住所】福井県あわら市舟津13-2
       北緯36度13分50秒,東経136度11分29秒
   【祭神】天兒屋根命
   【例祭】4月29日 例祭 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】明治8年2月23日村社
       大正2年4月9日現在地に遷座
       同年8月16日神饌幣帛供進神社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】白山神社・薬師神社

往昔当地が坪江の庄下郷に属する以前は、式内家津神社が祀られていた。以後に奈良春日大社より御分霊を勧請したという。


春日神社

社伝によれば、往昔当地が坪江の庄下郷に属する以前は、式内家津神社が祀られていた。以後に奈良春日大社より御分霊を勧請したという。当村の裏山には家津・春日・白山の三社が祀られていた。このことから三社山と呼んでいたともいう。
明治8年12月23日村社に列せられた。大正の頃篤志の人が三社山の峰上に公園を造る事を計画し氏子はこれに応じた。氏子は三社山東側の一角の地を社地にと寄進し、大正13年4月9日福井県の許可を得て三社山の中腹に鎮座する春日神社社殿を移し現在地に遷座した。同年8月16日神饌幣帛を供進する神社に指定された。
明治時代の境内は461坪となった。昭和5年4月社殿を改築したが、同23年6月福井大震災により拝殿が全壊し同41年4月再建。同55年手水舎新築。同56年社務所改築。
因に明治時代の本殿は前口2間奥行2間3尺。拝殿2間半4方 氏子数70戸であった。大正3年10月8日前口8尺奥行4間の廊下新築の許可を福井県より得、同4年1月11日竣工した。同年7月31日間口3間半奥行3間の社務所新築許可。同13年10月8日前口3間奥行2間の物置新築許可を得同年11月5日竣工届出をした。境内社の伊弉册尊を祀る無格社白山神社は、同字西垣内に鎮座していたが、明治40年8月12日福井県の許可を得て同境内に移転した。この時の白山神社は前口1間奥行1間の社殿で境内地12坪、氏子70人であった。少彦名那命を祀る薬師神社は往昔より当社の境内にあり、社殿は1間4方であった。

福井県神社庁



舟津春日神社

舟津地区に春日神社(境内社名白山神社・薬師神社)があります。芦原中学校に上る坂を舟津区民会館のところで左折し急坂を登って行くと右手に春日神社が見えてきます。この坂道の桜並木は、春満開の頃は見事な風景となるそうです。高台に位置するこの場所から、南側眼下に芦原温泉街を見渡すことができます。北側の拝殿に向かって石段を一歩ずつ登り、赤い鳥居を潜ると、そこには荘厳な境内が拡がっています。拝殿に向かっての境内右手奥には竹林がつらなり、見上げれば空をふさぐほどの紅葉の繁葉が風に静かに揺れています。深まり行く秋の季節の中での色合いの変化が非常に楽しみでもあります。
春日神社は藤原氏の氏神を祀る神社で全国にたくさんあります。昔、当地が坪江の庄・下郷に属する以前は式内家津神社が祀られていました。
その後、奈良春日大社より御分霊を勧請しました。当時、村の裏山には家津・春日・白山の三社が祀られていたのでそこは三社山とも呼ばれていました。大正の頃に篤志の人が三社山の峰に公園を造る事を計画し、これに応じた氏子は三社山東側の一角の地を社地にと寄進し、大正年間に三社山中腹にあった春日神社社殿を現在地に移しました。その後、社殿の改築、拝殿の再建、手水舎の新築、社務所の改築などを経て現在に至っています。

議会日誌・ふるさと探訪 - あわら市




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