この地は「ふるどさま」と呼ばれ、継体天皇の母・振媛命が、継体天皇を育てた「高向の宮趾」とされている。 |
高向神社 高向神社由来 今より1400年前武内宿弥六世の孫高向氏此の地一帯を統治し高向の郷と稱す 後の高椋村は之による 其の本拠は高田村に在り 高向氏の一女振媛命近江長浜に在住の応神天皇五世の孫彦主人大臣に嫁す 三児をもうけたるも夫君に先だたれ児を伴いて母在ます高田村に帰る 第一皇子男大迹王尊長ずるに及び九頭龍川の治水農耕の開発等越前に治績多し第24代武烈天皇没後嗣子なく中央より大連大伴金村物部鹿々火等に迎えられて第25代の皇位につく 後に継体天皇と諡す 御陵は大阪府攝津市藍野に在り 当神社は振媛命と夫君祖応神天皇を祀る 社頭石碑 |
高向の宮跡 丸岡町指定文化財 高向の宮跡 指定年月日 昭和49年1月8日 所在地 丸岡町高田一字7番 「日本書紀」によれば、五世紀の中頃近江国高島郡三尾に住んでいた彦主人王は、越の坂名井から振媛を妻として迎えた。振媛は男大迹王(後の継体天皇)を生んだが。まもなく彦主人王が亡くなったので、幼い男大迹王を連れて故郷の高向に帰り、養育したとある。 かっての、このあたりが継体天皇ゆかりの「高向の宮跡」であろうと推定される。「延喜式」神社帳にある高向神社は、四字久保庄あたりで『古堂様』と呼ばれ、振媛一族の氏神であり、高向郷の総社であったとも伝えられる。 社頭掲示板 |
高向の里跡 高向の里跡 指定 町指定 史跡 指定年月日 昭和49年1月8日 所在地 丸岡町 高田 むかし、この地方を高向の郷と言い、第二十六代目の天皇となられた継体天皇が住んでおられた宮の跡である。男大迹王は この地で育てられた。大昔、荒泥沼であったところを九頭龍川の水口を切り開いて干拓し、坂井平野をつくられた。 高向神社には、応神天皇と振媛が祀られている。 社頭掲示板 |
高向神社 高向神社ハ汗斯王、彌乎國高島宮坐時、當郡高向郷高向村ヨリ布利比売命ヲ娶マシテ、伊波禮ノ宮ニ所生シキ。汗斯王崩去マシテ後、王子ト共ニ、祖國多加牟久村ニ座シムル故ニ此社アリ。継体天皇ハ応神天皇五世ノ孫、故有テ天下治メシ玉ヘリ。 欽明天皇ノ御宇、此社モ亦八幡太神ト號シ奉ツレリ。 神社明細帳 |