紀倍神社
きべじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】紀倍神社 越前国 坂井郡鎮座

   【現社名】紀倍神社
   【住所】福井県坂井市坂井町木部新保 70
       北緯36度9分59秒、東経136度9分38秒
   【祭神】別雷神 (配祀)大山咋命 白山比古神
   【例祭】9月19日 例大祭
   【社格】旧村社
   【由緒】大同元年(806)創建
       天正3年(1575)織田信長の一向一揆討伐の兵火に全焼
       明治15年9月紀倍神社と改称

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「加茂明神」と称していた
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】館宮神社・白山神社・忠魂社

延暦・大同の頃、この地一帯は荘々たる湿地芦原で、その中央の大淵には水鬼が住み、人々を寄せつけず開発が遅れていた。そのため山城上賀茂の別雷命を勧請して祈念をこらし、漸く水鬼を退治して一郷の開発をすすめたという。
2社ある紀倍神社は、一方が創建された後、いま一方が前者の分霊を祀つたものと推察される。



水との戦

鬼辺郷は、九頭龍川・竹田川・兵庫川に囲まれた河間地域で、常に三川の汎濫に見舞われた低湿地帯であつた。そのため早くより水防堤築造の努力が繰返えされ、一種の輪中組織が形成されていた。当地の伝えによれば、大規模な築堤事業の開始は寛弘元年(1004)まで遡るといわれ(『鬼邊由來記』外)、その後次第に堤の増幅延長が実施され、17ヶ村全体を取巻く長大な「木部堤防」が完成したのは、17世期貞享年間(1684−88)かと推定されている(『木部村誌』)。従つて、当地の歴史は父祖代々の水防排水に関する努力と紛争を中心とするのもので、創祀の説話もそうした水との戦いと密接に結び付けられている。
2社ある紀倍神社は、一方が創建された後、いま一方が前者の分霊を祀つたものであろう。

式内社調査報告




紀倍神社

祭神 別雷神 大同年間の創建、三国港の開けざりし依然は、東南諸山の萬水悉く茲に流落会同し一面大沢大湖を呈せり、今に存称する大沢小池の辺りは物凄さ渺々たる大湖にして通行人の被害絶えず皆々怖れて京都上賀茂明神の分神を受けて安置す。
大同元年勅使により比叡山三千坊の内月僧等二百余人下向此芦原を開拓し七堂伽藍並びに祈願所を建立して此の明神を鎮座し奉る。その由奏聞あり、神領353石等を下し賜り勅願所同様の扱いとなる。
これより毎年9月19日北国の菊祭と称し当国無双の大祭を営む、後当国大守朝倉家持崇敬ありその一族向駿河守当村に於いて一万石を領し常に明神を尊敬し神器当を寄付し郷中の総社として旺んを極めしも天正織田信長の一揆征伐に際し総て焼失し後ち柴田勝家公によって再建せられたり。
加茂神社と号せしを改称し今日に至る
例祭9月19日
昭和23年北陸大震災により神殿を残し全壊したるところ同43年、明治百年を記念して 茲に氏子等の浄財により再建せるものなり。

社頭掲示板



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