明治42年1月19日大野町篠座字花畑に鎮座していた国生大野神社が清瀧神社に合祀された。 |
清瀧神社 由緒沿革 清瀧神社の創立年代ははっきりとしませんが古記によりますと室町時代の応永5年(1399)に、越前国大野の亀山の麓に奉遷されました。その後戦国時代になって織田信長公の幕下の金森長近公が亀山に白を築くということでその発願によって、天正元年(1573)10月に蛭子山に御遷座になり現在に至っております。 天正3年から江戸末期まで一年置に亀山へ御山渡り(御輿渡御)の祭礼が行われました。 その折各町内では奉賛の催し物を造り、競い合ってたいへん賑わったと伝えられております。 毎年2月7日(旧暦)の祭礼には火の災厄を除く祈念と藪雨(弓を射る式法)が行われていました。 歴代の大野城主は、清瀧神社を産土神と仰がれて社領(黒印地領)社殿の新築、改築、修繕などの費用を寄進されました。 大黒様と尊んだ氏子崇敬者の方々の喜捨によりまして社領は整い荘厳な神域に御神徳を称えてまいりました。 社頭掲示板 |