現在の社地は切り拓いた所で、昔は現在の拝殿の向かつて右の方30m附近に鎭座したという。 拝殿の右に、注連縄の張られた大岩がある。これが磐座かどうかは不明。村人が掘って立てたという伝承もある。 |
磐座神社 磐座神社と御由緒 御祭神 天津彦火瓊瓊杵尊を祀る 瓊瓊杵尊 天照大神の御孫正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊の御子 天照大神より三種の神器を親授され高天原から日向国高千穂峰に降られ国土を治められた神である (中略) 磐座神社 神社歴は1200年とも1300年とも伝えられ旧大野郡式内九社の一社で古代大槻村の神社である 大槻村の由来 古代大野盆地が湖であつた頃、大槻村の租先は此の神社の周邊に住んでいた。或る深夜、突然神社が炎上、村人は御神体を案じて馳せ参じたところ、既に御神体は境内にあった大槻の樹高くに避難され、燦然と光り輝きながら遷座されて居たと傳へられる。村人は大槻を賛歎し、以後部落を大槻村と呼び、最も敬神の念厚い氏子として大いに榮えたと傳えられる。何時の日か定かではないが、此の大槻も朽ち、その位置から臨む大野盆地は湖と月とが素晴らしく調和していた。人々はその眺望を称え、大月村と呼ぶようになり、東西の大月に分かれ現在に至つている。 昭和51年4月14日 社頭石碑 |