神傍は「かむそひ」「かむそふ」と読むか。 上家 主計中村(福井市主計中町)にあつたとする説と吉田郡岡保村河水の越智神社(当社)であるとする説の二説がある。 福井市主計中町は、徴すべぎ記録を欠き、傍証が得られない。現在比定する社もない。 神社の記録に「去ル天保年間迄ハ、神傍神社ト称シ來リシヲ本願ノ如ク地名ヲ、大地卜云ヒシヨリ里言大地大明神トセシヨリ、明治拾二年神社由緒届ノ際、誤テ越智ト訛傳ヲ上進セシ」とある。 |
越智神社 当社の由緒とわが里 当社は西暦905年から927年にかけて編纂された延喜式の神名帳に記載されている式社神傍神社であり河水の地名は神傍が転訛したものであるという。(上家−主計中村にあったとする二説がある) 神傍神社は足羽郡に十三社あった式社の一つであって祭神は伊弉諾尊と神狹日命という。明治40年県に提出した社号改称願理由書に神傍村は千余年前ここにあった古村であることは明らかで天保年間迄は神傍神社と称して来たが明治12年の神社由緒届の際誤って越智と上進してしまった。証拠の神宝書類も数多くあった筈だが源平盛衰、南北朝争乱、朝倉の没落、寺院の兵変にかかり失ったとある。御神体は明治18年に作られた聖観音、毘沙門天、不動明王の木造の三尊である。 尚境内敷地は369坪である。 社頭掲示板 |