集落の奥の山の中腹に寺院と隣り合って鎮座している。 |
登知爲神社 指定村社登知爲神社の由緒 當社の御祭神は瓊々杵尊菅原道真高木神伊弉册尊の四柱、創立年代は不詳で天正年間以前は郷内の總社であって慶安3年火災に罹り悉く焼失したので記録はない 傳説によれば承和年菅原朝臣善主越前の介たりし時深く崇敬し自分の祖先道真公の御霊を配祀された 明治41年に同字泉無格社大虚空神社同年白山神社を合祀した 毎年災厄除の神事として5月5日に男の子供達の傳統的なる花山の行事を奉納するのである 社頭石碑 |
登知爲神社 創立年限ハ不詳ナルモ延喜式神名帳二云登知爲神社ニテ天正年間以前迄ハ大社ニシテ郷内ノ惣社則チ神職長官泉政則ト云下社家等モ有テ今二其屋舗跡字二残レリ併シ旧文書類ハ慶安三年火災二際シ悉ク皆焼失シモ、古老ノ傳説二拠レハ承和年間菅原朝臣善主越前介タリシ時、當社信仰種々造営ヲ加ヘテ自分の祖先道眞公ノ御建ヲ配祀セラレタリ、其后一乗城主朝倉敏景ラ始メ代々崇敬有之 神社明細帳 |