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「土宮」の由緒に「足羽郡ノ内式内土輪神社ハ則チ此社ナリト口碑二傳」とある。 神明神社境内社土宮が境内のどこにあるのか不詳。本殿左右の脇にある末社のいずれかとは推測されるが。 |
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神明神社 烏ケ森社叢(市指定、天然記念物) 指定 昭和46年7月20日 所在地 鯖江市水落町81−1 面積 24,200u 鳥ケ森社叢は、市街地の中に原始林を思わせる宏汎な面積を有し、古墳が多く点在している。 きらに納経石龕、十の池、慶長13年(1608)の刻銘がある石灯籠など、歴史上意義あるものもある。 旧神明町、旧中河村下河端村、旧舟津村小黒町一円は、古くは山本御厨と呼ばれ、伊勢神宮の神領であった。水落を中心にこの地域に山本姓が多いのはそれを裏付けるものである。 社伝いによれば、当社の創建は安康天皇の御宇と伝えられ、元は旧中河村下河瑞の東部山麓にある通称「湯の花」に鎮座されていたが鳥羽天皇の御宇大治4年(1129)越前押領使国貞の祈願により現左地の「鳥ヶ森」に遷されたと伝えられる。その後、朝倉氏や大閣検地の際に若千の田地が寄進され、福井藩祖松平秀康も社領年貢米等を献じ敬神の意を表したという。 また、この社には今も「おらいし」と呼はれる神事が年中行事として行なわれており、境内にある「十の池」では明治初年まで「牛引き」と呼ばれる特殊な雨乞い神事も行なわれていた。 鯖江市教育委員会 社頭掲示板 |
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神明神社 鯖江市指定文化財 烏ケ森社叢 指定年月日 昭和46年7月20日(指定第5号) 種別 記念物(天然記念物) 概要 神明社は、安康天皇の時代(5世紀中頃)の勧請と伝えられ、創建時は文殊山の南麓にあたる「湯の花山」に鎮座していた。大治4年(1129)に現在地に遷座し、以後、朝倉家をはじめ代々の国主の崇敬を受け、厚く庇護された。 神明社の社叢「烏ケ森」は、面積24,200uの広大な広さを有し、旧瓜生家住宅(重文)・中雀門(県指定)・慶長の燈籠(市指定)などの文化財建造物や古墳も存在している。記録によると、大治4年頃、烏ケ森は一面が原始林におおわれ、キツネやタヌキなどの小動物が住む人跡未踏の地であったという。今もなお、杉や松などがうっそうと繁り、当時の姿を彷彿とさせる。 鯖江市教育委員会 社頭掲示板 |
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神明神社 鯖江市指定文化財 神明社の神符納蔵 指定年月日 昭和50年8月25日(指定第17号) 種別 有形文化財(建造物) 建築年代 文禄2年(1593) 概要 この神符納蔵は、古墳上に位置している。銘文より文禄2年に建立されたことがわかるが、その内容から考えると、もとは六部の廻国納経石龕であったものが、神符納蔵として使用されてきたものとみられる。“龕” とは仏像、舎利、経巻等を安置する厨子や容器を指し、 “神符”とは神社から信徒に授与された護符(おふだ、おまもり)のことである。 材質は笏谷石(凝灰岩)製で、大きさは総高250cm、龕部高110cm、龕部幅135cm、笠高110cm、笠厚80cmである。基礎、龕部とも方形で、龕部は縦に板石を並べている。前部には3枚の板石が使われているが、両端の板石の中程には長方形の彫込みをし、上部に飛雲を薄肉彫りして、この上に日月を彫り抜いている。屋根は、方形のベース上に鏡餅のように円形屋根を二段に重ねており、その上に宝珠を載せている。 鯖江市教育委員会 社頭掲示板 |
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神明神社 鯖江市指定文化財 神明社慶長の燈籠 指定年月日 昭和50年8月25日(指定第16号) 種別 有形文化財(建造物) 建築年代 慶長13年(1608) 概要 この燈籠は、奈良東大寺法華礼堂前に建てられていた伊行末が作った燈籠を写したものと伝えられ、銘文から慶長13年に建立されたものであることがわかる。 材質は笏谷石(凝灰岩)製で、大きさは総高250cm、笠幅78cm、火袋幅40cm、火袋高37cm、中台厚23cm、中台幅63cm、竿長115cm、竿太35cm、基壇幅84cmである。竿と宝珠は平面円形、それ以外は平面四角形で、基壇、中台ともに単弁八葉を彫り込んでいる。火袋は方形の火口のほか、日、月、三葉を透かし彫りしている。笠には一般的にみられる蕨手(突起状のもの)がない。 竿には次のような銘文が刻まれている。 越前國□山后室 奉建立石燈籠社水落 慶長十三年戌申年五月大吉日 鯖江市教育委員会 社頭掲示板 |
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神明神社 鯖江市指定文化財 神明社中雀門 指定年月日 平成10年4月24日 種別 有形文化財(建築物) 建築年代 貞享5年(1688) 概要 神朗社の建物は本殿・拝殿等が南北一直線に配置されている。中雀門は本殿の南面中央に位置する、切妻造桟瓦葺の四脚門形式の建物である。 正面柱間一間(3.03m)、側面柱間2間(2.40m)で、笏谷石(凝灰岩)製の切石沓石上に建ち、主柱を円柱、控柱を角柱とする。柱上に大斗肘木を載せて紅梁を架け、板蟇股を入れて棟木を支え、二軒繁垂木の軒を支える構造である。当初、屋根は茅葺であったが、明治時代に瓦葺にかえられた。 その年代については、平成5年に行われた解体修理の際に発見された墨書銘によリ、貞享5年に建てられたものであることがわかった。現在、県内に残る四脚門は少なく、また細部の様式も、江戸時代初期の建築様式をよく伝えている。 鯖江市教育委員会 社頭掲示板 |