加多志波神社
かたしはじんじゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】加多志波神社 越前国 今立郡鎮座

   【現社名】加多志波神社
   【住所】福井県鯖江市川島町 27-22
       北緯35度56分45秒、東経136度13分31秒
   【祭神】多加意加美神
   【例祭】8月23日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】由緒不詳

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「八幡宮」と称していた
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】

集落の一番奥に鎮座する。豊かな叢林がある。
延元(1336−40)の頃、足利氏と新田氏が越前府中で戦っていた時代には広壮な社殿があったという。
社宝の追儺面は木造で父母子の3鬼面があり、鎌倉時代の作といわれ、国の重要文化財に指定されている。


お面様由来

「お面様」が、ここ加多志波神社に祀られている由緒は定かでないが、昔高太(旧国高村)から川に流されたものを川島の古老が拾い揚げて奉祀したと伝えられている。
この「お西様」は、父・子・母の三鬼面からなり、古く鎌倉後期の秀作である。薄手の良質な桧材に良質の漆と金箔が用いられ、当時の最高技術の仕上げだけに「追儺面」としては稀代の逸品である。
その故に昭和44年4月には福井県の指定文化財に、さらに昭和47年5月には国の重要文化財に指定された宝貴な面である。
川島では古来これを観音堂に安置して親しく「お面様」と呼称しながら尊崇し、今も毎年2月11日の「おない」の祭日には開扉して礼拝する慣例となっている。

社頭石碑



木造「追儺面」のしるべ

昭和47年5月30日国の重要文化財に指定
毎年2月11日 「おこない」の際に御開扉
「お面様」と呼んで親しまれているこの木造追儺面(三鬼面)は、もともと追儺会が催されるときに用いられたものの類ではあるが。たまたま大正12年の大旱魃の際、村人がこぞってお面様に雨乞いのお祈りをしたところ、慈雨が降ってきたという御利益があったところから、以来御神体としても尊崇されるようになって今に伝えられているものである。
お面自体は古く鎌倉時代の後期(今から約700年前)の秀作であって、薄手の上質な桧材に良質の漆と金箔を用いて仕上げられてあり、稀代の逸品である。
平成6年9月吉日
鯖江市教育委員会

社頭掲示板



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