集落の東北奥。山に抱かれた形で鎮座している。杣山式内総社と称している。 山王山の西麓にあり、鎌倉時代末期には、杣山城の城主・瓜生氏の手厚い保護を受け、そのもとで、社運は大きく隆盛した。 もとは東北1Kmの千石谷山(372.1m)に鎮座していたという。 |
鵜甘神社 鵜甘神社由緒 祭神 鵜草葺不合尊 伊邪奈美尊 大山咋尊 瓊々杵尊 大国主神 曽博王 当社は式内社で杣山郷十三ヶ邑の総社として国内神名帳に正五位鵜甘神社とあり千有余年連綿たる古社である。古来朝廷より度々勅祭あり瓜生保新田義貞脇屋兼輔等戦勝祈願の為度々参詣の由古書に見ゆ。 獅子頭太刀仮面駒犬等宝物多数現存す。 昭和47年正月建之 38代宮司 稲川隆徳謹書 社頭掲示板 |
鵜甘神社 当社は、延喜式内社で、杣山郷の総社として『国内神名帳』に「正五位鵜甘神社」と記載されている古社である。 古来、朝廷から奉幣があり、亦、瓜生保、新田義貞、脇屋義助等が戦勝祈願に度々参詣されて社領や神宝を寄進している。 白鳳2年(673)3月に滋賀県坂本の日吉大社から当地に勧請した。 福井県神社庁 |