継体天皇が越前に御潜龍の時、「足羽の水源神」として祀られた古社である。 水海の東方に土地の人に親しまれている部子山(1464m)があり、この社は部子山信仰の山頂に鎮座する上宮に対して下宮として尊崇されていた。 後年、岐阜県の能郷などとの交流もあったため、白山信仰の文化圏であった能舞が伝わってきたといわれている。それらは今日に至るまで村人の手により守られ、「水海の田楽能舞」(国指定重要無形民俗文化財)として毎年2月15日に田楽四番と能楽五番が奉納される。 |
鵜甘神社 当社は雄略天皇7年(463)の創建と伝えられる古社で、応神天皇、神功皇后、武内宿禰を主祭神としている。江戸時代までは八幡社であった。 毎年2月13日には「ばいもしょ」とよばれる初春の予祝神事が行われる。 この「田遊び」は明治期に合祀した賀宝五所社の御田植神事をそのまま継承している。この神事では、拝殿から撒かれた五本の棒を激しく奪い合うことから、「棒ちぎり」ともいわれている。 また、2日後の2月15日の春大祭には田楽と能が奉納される。 四番の田楽と五番の能があり、演目は毎年変わらない。 全国的にも類希なこれらの伝承芸能は、田楽や能の起源や伝播を知るうえで貴重なものとされ、「水海の田楽・能舞」として国の重要無形民俗文化財に指定されている。 社頭掲示板 |
鵜甘神社 鵜甘神社の田楽能舞 〔池田町水海〕 池田町の水海の村中に、鵜甘神社があります。延喜式内の古社で、紀元1123年の創立との事であります。この神社に国の重要民俗無形文化財の、田楽能舞が伝わっています。その由来書によれば、「建長2年鎌倉幕府、前の執権北条時頼公、諸国廻りの折り急ぎ帰館の途時、当地にて降雪に会い越冬のやむなきにいたりぬ。何故に最明寺入道時頼公が、当地に来られた理由は、水海を通り大野郡西谷村熊河より温見を経て、岐阜県大河原村に至る表日本に通じる、最短平易の重要な道程であった。公は、当地の雪消えまで鵜甘神社に滞在中、日毎に社前に参篭し天下泰平、国家安穏、五穀豊穣を祈願せりと言う。たまたま滞在中の2月15日、春大祭の古事を御感有って、村人舞人などに能舞を教え、以後併せて奉納する様に確約して、公は雪消えを待って急ぎ帰領された。帰領後、水海で世話になった人々を鎌倉に招いて賞賛されたと言う。」最明寺時頼は、謡曲「鉢木」「藤栄」のワキです。 まったく、謡曲「鉢木」と同じ話だと思いませんか。この田楽能舞は毎年2月15日に、写真の鵜甘神社拝殿にて神事として執行されます。昼12時・川原にて禊。午後1時より5時まで田楽能舞奉納。午後6時・面納め。見学自由。 http://www.tvk.ne.jp/~mugiya/echijen.htm |
鵜甘神社 雄略天皇7年(463)2月15日に創立した。第26代継体天皇が越前に御潜龍の時「足羽の水源神」として祀られた古社である。鎌倉幕府の執権北条時頼公が諸国行脚をされ当地に越年の時(1250頃)に能舞を教揺されたのを合日に継承している。 福井県神社庁 |