刀那神社(旧跡)
となじんじゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】刀那神社 越前国 今立郡鎮座
          (現在社1)禅定神社
          (現在社2)刀那神社

   【現社名】刀那神社(旧跡)
   【住所】福井県鯖江市尾花町
       北緯35度57分4秒、東経136度17分47秒
   【祭神】
   【例祭】
   【社格】
   【由緒】明治41年寺中の河和田神社へ合祀

   【関係氏族】
   【鎮座地】明治41年寺中の河和田神社へ合祀

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【参考HP】 刀那神社(旧跡)
   【社殿】
       

   【境内社】

尾花と沢の村境のあたりに、「刀那神社古跡」と、記された石碑が一基立っている。 


刀那神社(旧跡)

この地一帯を三社森と称し元宮地でかってこの地に建つ刀那神社は継体天皇の皇女を祭神として祀る一大比類なき御社であった。延喜式に越前今立郡十四座の内刀那神社とあるは是なり。古事記には麻年多とあり何時の世にかこの地を可屋多と唱えることとなる。今この地を河和田と云うは可屋多の転訛せる名であると云う。この地を又茨田皇女三社森とも称し建つる刀那神社は河和田郷の総社であって尊信比類なき社であったと伝う。この事を足羽社記帰信記に記されている。応仁の乱の頃より暫く衰運に向かったと伝えられるがその後も尚往古の面影を残して境内段別甚だ多くして尚壮観であった。然るに明治40年当神社は河和田神社に合祀することとなり社地跡の消滅することを憂いて大正2年4月尾花氏子相謀りて刀那神社古跡の石碑と共に碑文を建立す。然るに時移り変わりてみるに碑は小さく碑文の事毎に消え無くなりゆくをみて再度之を建設す。
平成9年10月吉日
尾花区氏子

この一帯は「三社森」と呼ばれており、樹齢数百年から数千年を経た樹木がうっそうと茂る森であった。昼間でも薄暗く、森に入ると姿や声が聞こえなくなることから弁慶が戦の相談をしたと伝えられている。また、継体大王(男大迹王)と広媛との間に生まれた茨田姫が住んでいたと伝えられており、三社森の中には茨田姫を祀った刀那神社が建立されていた。
明治末期になると、三社森は農地拡大政策によって開墾されることとなり、刀那神社は明治41年に河和田神社へ合祀された。現在安置されている石碑は、茨田姫の足跡と刀那神社がこの地に存在していたことを後世に伝えるために、大正2年に地元の有志によって建立されたものである。 なお、この説明板は「継体大王即位1500周年」を記念して制作したものである。

かわだの伝説
三社森
この一帯を三社森という。昔は数百年を経た巨木が茂っていて、尾花町に住まわれたという茨田姫(継体天皇女)をおまつりした刀那神社があった。この境内を汚したり、森を死人が通ると必ず暴風雨が起こったという。また、弁慶がここで戦の相談をしたとも伝えられている。 河和田の地名は、茨田(可屋多)姫に由来するという説もある。

社頭掲示板



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