社伝によると、安康天皇の御代(5世紀中頃)の勧請といわれている。 往古は、現在地から北東約3kmの文殊山の南麓・現下河端町の「湯の花山」に鎮座していたが、鳥羽天皇の大治4年(1129)に、押領使兼神領使・藤原国貞の神託により現在地に遷座した。 『明治神社誌料』は境内社平岡八幡および多賀社を枚岡神社に比定している。 |
鯖江市指定文化財 烏ヶ森社叢 神明社は、安康天皇の時代(5世紀中頃〉の勧請と伝えられ、創建時は文殊山の南麓にあたる「湯の花山」に鎮座していた。大治4年(1129)に現在地に遷座し、以後、朝倉家をはじめ代々の国主の崇敬を受け、厚く庇護された。 神明社の社叢「烏ヶ森」は、面積24,200uの広大な広さを有し、旧瓜生家住宅(重文)・中雀門(県指定)・慶長の燈寵(市指定)などの文化財建造物や古墳も存在している。記録によると、大治4年頃、烏ケ森は一面が原始林におおわれ、キツネやタヌキなどの小動物が住む人跡未踏の地であったという。今もなお、杉や松などがうっそうと緊り、当時の姿を彷佛とさせる。 烏ヶ森の植生は高木層スギやヒノキ、常緑広葉樹のシラカシが樹高30m程度に生育し、落葉樹のケヤキやクヌギなどが見られ、着生植物のツタウルシやナツツタ・フジか巻き付いている。亜高木のコシアブラやアカメガシワ・クサキなとも見られ、常緑のサカキ・イヌツゲ・ヤブツバキなどの灌木がうっそうと繁っている。林床にはベニシダが多く生えて、ツルアリドワシ・ショウジヨウバカマ・アケビ・ミツバなどが育つ。また、モウソウチクが参道西側一帯に広がっている。鯖江市教育委員会 社頭掲示板 |
鯖江市指定文化財 神明社慶長の燈籠 ■指定年月日 昭和50年8目25日〔指定第16号) ■種別 有形文化財(建造物) ■建築年代 慶長13年(1603) ■概要 この燈籠は、奈良東大寺法華礼堂前に建てられていた伊行末が作った燈籠を写したものと伝えられ、銘文から慶長13年に建立されたものであることがわかる。 材質は笏谷石〔凝灰岩〕製で、大きさは総高250cm、笠幅78cm、火袋幅40cm、火袋高37cm、中台厚23cm、中台幅63cm、竿長115cm、竿太35cm、基壇幅84cmである。竿と宝珠は平面円形、それ以外は平面四角形で、基壇、中台ともに単弁八葉を彫り込んでいる。火袋は方形の火口のほか、日、月、三葉を透かし彫りしている。笠には一般的にみられる蕨手(突起状のもの)がない。 竿には次のような銘文が刻まれている。 越前國□山后室 奉建立石燈寵當社水落 慶長十三戊申年五月大吉日 鯖江市教育委員会 社頭掲示板 |
福井県指定文化財 神明社中雀門 ■指定年月日 平成10年4月24日 ■種別 有形文化財(建造物) ■建築年代 貞享5年(1688) ■概要 神明社の建物は本殿・拝殿等が南北一直線に配置されている。中雀門は本殿の南面中央に位置する、切妻造桟瓦葺の四脚門形式の建物である。 正面柱間1間(3.03m)、側面柱間2間(2.40m)で、笏谷石(凝灰岩)製の切石沓石上に建ち、主柱を円柱、控柱を角柱とする。柱上に大斗肘木を載せて虹梁を架け、板蟇股を入れて棟木を支え、二軒緊垂木の軒を支える構造である。当初、屋根は茅葺であったが、明治時代に瓦葺にかえられた。 その年代については、平成5年に行われた解体修理の際に発見された墨書銘によリ、貞享5年に建てられたものであることがわかった。現在、県内に残る四脚門は少なく、また細部の様式も、江戸時代初期の建築様式をよく伝えている。 鯖江教育委員会 社頭掲示板 |
福井県指定文化財 神明社神符納龕(廻国納経石龕) ■指定年月日 平成19年4月20日(県指定第361号) ■種別 有形文化財(建造物) ■建造年代 文禄2年〔1593〕 ■概要 この神符納龕は、文禄2年(1593)に建立されたものである。路文によるともとは廻国納経の際に経を納める容器として便用していたが、後に神符〔お礼、お守リ)を納めるようになつたものとみられる。「廻国納経」とは全国66ケ所の霊場に法華経を1部ずつ納めて歩く巡礼のことであり、「龕」とは仏像・舎利、経巻等を安置する厨子や容器をいう。 材質は笏谷石.(凝灰岩)製で、総高250cm、龕部高11Ocm、龕部幅135cmである。基礎、龕部とも方形で、龕部は縦に板石を並べている。前面には3牧の板石が使われ、両端の板石の中程には長方形の彫込みをし、上部に飛雲を薄肉彫りして、この上に日月を彫り抜いている。 鯖江市教育委員会 社頭掲示板 |