社名の帆は「式内社調査報告」「全国神社祭祀祭礼総合調査」とも「火偏に几」とする。 日野川の水が村国山の東部に流れ込むのを防ぐために、川の上流に向つて祀られているとされ、日野川の治水のために祀られた神社であろう。 神社の背後の村国山には古墳が多く存在する。 近江国坂田郡能登瀬山津照神社(式内社)は帆山神社の分霊と記している。 |
薄墨櫻の記 継体天皇、味真野の宮を立ち出でたまひ、御上都の途中当社に駕籠を留めさせられ、国中の鎮護を祈りたまえば奉送の老若男女臣民父母を喪ふが如く悲しみければ天皇宣ぶ【吾れいま郷国を離れ帝都に赴くと雖も心は猶この地に留まらん、形見を此処に遺すべし】とて駕籠の中より愛櫻の枝を取り出したまひこれを田圃に挿し和歌を詠じて曰く『気怒気怒乃都乃空波遠計礼登魂波国璽残志置良免』と衆みな拝辞して涙に咽ばぬは無かりき。この櫻枝根を生じ、枝葉繁栄し、希世の薄墨櫻なり、衆皆形見の櫻と称し、児安神と祀る。 帆山神社記 |