古来この佐々生に鎮座として異論は無い。 往古は当社の南東、朝日町と宮崎村との境にある標高279.8mの山で三床山(御床山)の山頂に鎮座していた。現在も山頂に「式内佐々牟志神社 旧御殿跡」の標がある。 |
佐々牟志神社 創立年月不詳。 延喜式神名帳に記載され神階を授けられた古社である。 往古は当地区の霊山御床岳(三床山)山頂に鎮座していたが、当地の領主宮川出雲守要光が弘仁13(822)庚寅年宮地を村内に移し壮麗な社殿を建立し遷座した。 領主の大社として尊崇も厚く、神職別当もあって隆昌していた。 後白河天皇の御代。 保元・平治の乱に出雲守は破れ城郭と共に滅亡した。 多くの兵士や旧記古文書を始め神宝等も散失した。 わずかに社殿が難をまぬがれたが社運は衰微した。 それより後大野藩主の社領寄進があり、更に天正11年(1583)羽柴筑前守秀吉より社地の整え、伐木殺生の禁等の庇護と禁制の令下付により社運を盛り返した。 そして、以後は崇敬する村民にゆだねられ氏神の社として護持されてきた。 明治8年8月旧敦賀県にて村社に列せられた。 明治42年12月16日同字殿の下にあって少名彦名命を祀る無格社少名彦神社。 同字角田にあって大俣彦命を祀る無格社大俣彦神社。 同字小北にあって猿田彦命を祀る無格社道祖神社。 同字漆本にあって天照大神を祀る無格社大神神社。 同字紐瀬にあって猿田彦命を祀る猿田彦神社。 同字西下出にあって少名彦名命を祀る無格社少名彦神社の六社を合併し境内社とした。 同年同月日社殿を同字佐々牟志一番に移築し拝殿幣殿を増改築の許可を経て着工。 同43年3月30日竣工した。 更に神域の拡張もあり社頭の面目は漸く改まった。 大正元年8月26日指定村社となる。 以後七十年経て上棟祭・千三百年祭を昭和49年盛大に挙行した。 平成2年御大典記念として全長65m幅2.5mの参道が寄進され、荘厳な神徳を益々、深めた。 福井県神社庁 |