この地に無格社伏拝神社が鎮座していた。三ツ口町に鎮座していた村社神明神社(祭神天照大神)を、明治41年5月13日楠町無格社伏拝神社に合併。同年6月27日伏拝神社は神明神社と改称村社に列した。 |
神明神社 中世以前ほ、霊峰日野山の遥拝所で伏し拝みと呼ばれていた。継体天皇が即位のため味真野から都に向かわれたとき、この地に駕を留め日野山に向かい越前国中の神々を拝された宮跡と伝えられる。それから人々が旅に出るときには、必ずこの地で道中の無事、平安を日野山に祈願したという。 その後この地に、天照大神を祀る神社が建立されたといわれる。しかし戦乱により荒れ果てて、いたが、寛文年間(1661−73)に府中領主本多昌長により再建され、伏し拝み神社として地域の信仰を集めてきたという。本多家でも、歴代の当主が参勤交代で出府するときは、伏丈拝み神社で日野山に道中の無事を祈願したといわれる。 明治36年4月武生の大火により総社が類焼したので、御神体は暫くこの社に移されたことがあり、以来上総社と呼ばれてきた。明治41年、三ツ口の神明神社を合祀して神明神社と改称した。 南地区自治振興会 神明神社(上総社) 第26代継体天皇の時代、この地に社跡があったので、天照皇大神を祭る社が建立された。しかし、その後の戦乱の世で荒れ果てたため、寛文年間(1661〜)に領主本多昌長によって再建された。 以前は伏拝(ふしょうがみさん)とよばれ、越前富士と称されて古くから山岳信仰山であった日野山を遥拝する場所であった。 社頭掲示板 |