長岡神社
ながおかじんじゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】長岡神社 越前国 丹生郡鎮座

   【現社名】長岡神社
   【住所】福井県丹生郡越前町宇須尾 27-1
       北緯35度55分58秒、東経136度7分19秒
   【祭神】天之御中主神 高御産巣日神 神産巣日神 応神天皇
   【例祭】9月22日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】由緒不詳
       昭和21年宗教法人令の登記の際に長岡神社と復称

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】

総社神社と称している。前面は長岡グランド。集落から離れた尾根の上に鎮座している。
往古より長岡神社(天御中主神)天ノ御布須麻神社(高御産巣日神・神産輿日神)八幡神社(応神天皇)と社殿が三社あったが文化年中再建の節に一社に合祀という。


長岡神社

創立の年月不詳。
社伝によれば、往古より応神天皇を祀る八幡神社・天之御中主神を祀る長岡神社・高御産巣日神及び神産巣日神を祀る天御布須麻神社の三社があった。
末ノ谷・即寺・宇須尾・大谷野・蝉口・円満・上野の各村総社であった。
長岡神社は延喜式に見える論社の一社である。
文化年間(1804〜1818)社殿を再建の際三社を一社とし祭神を合祀した。
明治8年旧敦賀県に於て調査の時、社名の長岡神社を過って八幡神社と届出た。
同年村社に加列された。
このことから明治以降の神社誌には八幡神社として記されている。
別の社伝には、「…当社はその縁起遠く神代にありて連綿たる御由緒……抑々大古丹生郡は埴丹生郡といひて郡内一面の赤土なりしかば……」と述べている。
要約すると、古代より都の瓦や陶器を作り貢物として奉じてきた事は歴史にも記されている。
末の谷は特に盛んで「陶の谷」と改めた。
祭神の由緒について「…長岡神社は、式内の御社にして天御中主神を奉祀し、御神体立像一柱……後世一社に合祀しよりすべて長岡布須麻八幡宮と唄へ奉り候御事なり……」と述べ、「…中古兵乱のために大に衰廃し、社記によれば、寛永年間(1624〜1644)境内摂社等を各村に分祀したる事もあり、正徳年間(1711〜1716)三社神殿を改築し、文化年間(1804〜1818)には三社共に大破したるにより改めて一社を造営して之に三社の大神を合祀し……」とある。
また天御布須麻神社については「承久三年(1221)八月三日…諏訪神社御料地越前国宇津目保……」とあり、長岡の地名や大迹皇子御在留の遺跡等歴史の古さがうかがえる。
昭和50年準境内を整地し、運動場とした。

社頭掲示板



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