『神祇志料』に「継体天皇當國に潜龍し給ふ時此の嶺に登山座しまして、共に瞭火を焼かせられ、一夜を此所に明かさせ給ひ、旭の出つるを拝し給ふに、其の鮮やかなること、常に異るを感じ給ひ、此処こそ旭を拝すべき山なりと宣り給ひしより、之が恒例となりて、今に遠近の男女群集して朝陽を拝せり。(是より山の名を日野山とも日永嶺とも云ふ)」とある。 |
日野神社 日野神社由緒之碑 御祭神 継体天皇 安閑天皇 宣化天皇 主な祭礼 例祭 登山祭鎮火祭 4月25日 8月23、4、5日 日野山は御嶽山・日永嶽また越前富士とも言われ、昔から信仰の御山として尊崇されて来た。当神社のことが歴史に見える初めは、「日本紀略」の延喜15年(910)9月の条に「授ク 越前国日野名神ニ従五位下ヲ」と見えるのを初見とする。名神というのは、殊にその霊験のあらたかさをもって著名な神という意である。またこの御山のことは、長徳2年(996)に越前守として武生の国府に赴任した父藤原為時に伴われて来た紫式部が、その歌集に、 暦に初雪降ると書きつけたる日 目に近き日野岳という山の雪 いと深く見やらるれば ここにかく 日野の杉むら 埋む雪 小塩の松に 今日やまがへる と留めている。このように、この御山と神は古くから著名であったことが知られる。また中世・近世においては「日野山大権現」として山岳信仰の霊場として知られた。近世においては殊に越前藩主松平候、府中領主本多候の崇敬が篤く、社領・社殿等が寄進されている。今日では「日野山まつり」として、登山祭・鎮火祭(火まつり)で知られている。 なお、継体天皇が当国に潜龍し給いし時、二人の皇子(後の安閑天皇と宣化天皇)を伴って登山され、朝日を拝されてその鮮やかなことに感じ入られ、「此処こそ朝日を拝すべき山である」と仰せられたとの伝説があり、また古代神楽が伝わっている。 社頭掲示板 |