「宮司の龍頭家は系譜に新羅国王族の末裔ということになっておる」(『今庄町誌』) 新羅との関係が深い神社であろう。 地元の人々は、同じ沓見区に鎭座する式内久豆彌神社を女ノ宮と呼ぶのに対して、当社を「男ノ宮」と称して崇敬している。 神社誌によると、もともと信露貴彦神社は現在より南方の位置に、久豆彌神社は現在より東北の位置にそれぞれ鎮座していた。理由は不明だが、両社とも現在の位置と真反対方向に遷座した。だから久豆彌神社付近の者は信露貴彦神社の氏子で、信露貴彦神社付近の者は久豆彌神社の氏子ということになっている。 |