高岡神社
たかおかじんじゃ
大塩八幡神社境内末社 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】高岡神社 越前国 敦賀郡鎮座

   【現社名】高岡神社【大塩八幡神社境内末社】
   【住所】福井県越前市国兼町 22-2
       北緯35度50分57秒、東経136度10分16秒
   【祭神】須佐之男尊
   【例祭】9月24日 例祭
   【社格】
   【由緒】昌泰元年(898)六月に本殿の左に遷
       江戸時代に、現在地へ遷座

   【関係氏族】
   【鎮座地】往古は同郡高岡峯に鎭座
        昌泰元年(898)六月に本殿の左に遷
        江戸時代に、現在地へ遷座

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿流造檜皮葺
       

   【境内社】

大塩八幡神社拝殿向かって左脇に鎮座している。
往古は同郡高岡峯に鎭座していて相当な規模の神社であった。
大塩八幡神社は社記によると寛平3年(891)京都石清水の八幡神を勧請した古社で、以来朝倉氏はじめ武将の崇敬があつかったといわれている。拝殿は、室町期の建物で国の重要文化財に指定されている。





高岡神社

延喜式高岡神社
御祭神 素盞鳴神
由緒
創立年代不詳であるが此地方最古の鎮座にして、往古は本殿の巽に・・高岡峰に鎮座す。現八幡宮の末社にて昌泰元年6月今から1070年前現在地に移し奉る。
昭和43年10月
社務所

社頭掲示板






大塩八幡宮のしおり

大塩八幡宮のしおり
御祭神
帯中津日子天皇(第14代仲哀天皇)
品陀和気天皇(第15代応神天皇)
息長帯日売尊(神功皇后)仲哀天皇の皇后
御由緒
第58代光孝天皇の御代、平安初期にあたる仁和3年(887年)8月3日、朝廷にあった紀中納言友仲朝臣(後に紀長谷雄と云い菅原道真公の門弟、文章博士、遣唐使副使となる)21才(一説には43才)にして仲間のねたみにより、越前国府中の南(日野川の中洲?)へ流罪となった。
そこで無実の罪を晴さんとして、この社を祈願の地と定めて榊を桜井峯(背後の峯)に植え、麓に参籠所を設けて、石清水八幡宮(都の守護神)の神明の加護を願い日夜、帰洛のことを祈る内に間もなく祈祷の甲斐あって、神勅を蒙り程なく許されたのである。
時に宇多天皇の寛平元年(889年)3月、無事朝廷に復帰することが出来たのを喜んで、早速神勅の趣を密奏するに、天皇の御霊夢に不思議やびたりと符合されたことをことの外驚かれ、この不思議な霊験により、早速現在地に紀友仲朝臣に当宮建立の棟梁を仰せ給い、朝廷より木工寮、内匠寮に仰せて造営費と技術、資材の援助により造営されたのである。
寛平3年(891年)8月20日、京都石清水八幡宮を勧請して、勅使三条大納言公季卿下向し、神b主清原真人元政(瓜生神主の祖)他禰宜、社人同行した。
同5年8月15日を例祭日と定め神事放生会等石清水祭祀の如く行われたという。神領は従都部郷(南条郡内)封戸三百戸、約五千石を賜わった。
当国は日本海を距てて異国に近く、北夷降伏と越前国府(武生)鎮護の為、社殿をあえて北面鎮座したという。
無実の罪や疑いを受けたものは、この御祭神に祈れば速かに災難をのがるる霊験があります。
その後、鎌倉幕府の朔幣田、足利幕府の杜殿修復、朝倉家の社殿並びに大鳥居の寄進等、領主、国司の崇敬厚く荘厳を極めたが、天正年間一揆の際、社殿の一部破壊、神領の没収があったが、慶長8年、松平秀康公社領三十石、元和九年同忠直公二十石加増以来順次造営補修が続けられて、松平家(福井藩)本多家(府中藩)代々の崇敬、誠に厚いものがあり今日に及ぶ。
明治4年10月郷社、同7年6月旧県社となる。
境内神社(六社)
式内・天八百萬比盗_社 御祭神 伊邪那美尊
創立年代不詳、昔、本殿の坤(西南)方桜井峯に鎮座、文暦2年(1235年)3月24日、御本殿後方に移座
式内・高岡神社 御祭神 須佐之男尊
創立年代不詳、昔、本殿の巽(東南)方高岡峯に鎮座、昌泰元年(898年)6月朔日、御本殿東側に移座
式内・天国津彦神社 御祭神 伊邪那岐尊
天国津比盗_社 御祭神 伊邪那美尊
昔、国兼町夫婦神地籍に鎮座されたが、中古時代、御本殿西側に移座、古趾現在も残さる。
寿翁神社 御祭神 大山津見命、伊邪那美尊、須佐之男尊、少名彦命、大巳貴命、大綿津見命
延喜元年(901年)2月11日勧請、朝倉孝景公の息女、庖瘡に悩されたのをこの社の守札により、無事全快したと伝えられる。
高良神社 御祭神 武内宿禰命 寛平3年(892)勧請さる。
源嫡神社 御祭神 徳川家康公 由緒不明
境外社 大塩谷各地に十二社あり
祭日 例大祭9月22日・前日祭厄年奉仕者により氏子六ケ町の祈祷が行われる。
23日宵宮祭夜、大神輿が石段を降り、御旅所まで渡御が行われる。
24日本祭午後、式典に引き続き、夕刻、大神輿の還幸が行われ、独特の装束と掛け声で境内狭しと威勢よく練り廻る。

由緒書



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