往昔は白城神社と称し、式内社であったという |
白鬚神社 白鬚神社略記 一.御祭神 武内宿禰外十二神 一.例祭 春祭4月3日 秋祭10月9日 一.由緒 社伝によれば第15代応神天皇御誕生の時皇子の乳足らず武内宿禰大いに憂い天地神明に祈願したところ「越の国三尾の里に西面の滝ありこの水を養婦に奉れば乳の出ること滝の如し」との御神託を得て、この里を尋ねたるに果たして滝があり、滝水を献じたところ神託に違わず乳を得て、皇子はすくすくと御生育なられ天皇の御位につかれた、宿禰はこれを喜び自像を遣わされ其の後31代雄略天皇の4年3月3日当社へ宿禰を祀った。また22代清寧天皇もこの滝水によって玉体御強健となられ、当社への尊崇厚く神威遠近に輝き栄えた。今も乳婦立願あれば乳授けがあり参詣者は絶えない。 滝は地名に「信露滝」の名がある。明治9年村社に列せられ43年4月稲荷神社を境内社として合祀されてある。 現在の本殿は大正5年3月竣工す。 社頭掲示板 |
白鬚神社 当社の創立の年月不祥。往昔は白城神社と称し、式内社であったという。口伝によれば、神功皇后が三韓征伐から凱旋の後、皇子(後の応神天皇)を降誕したが、皇子に飲ませる乳が足りなかったので、武内宿禰大臣が神々に祈願したところ、“越の国南端の三尾の郷(日野川の上流にある八飯・宇津尾・橋立・広野の村々)に西向の滝(高さ12m、幅2m。信露(しろ)滝)がある。その水を乳婦に勧めよ”とのお告げがあり、武内宿禰が尋ね歩いたところ、神託通り西向の滝があり、乳婦に飲ませると神託の通りの功験があった。 福井県神社誌 |
白鬚神社 創立の年月不詳。社伝に「往昔は、白城神社と称し、式内社であった。」という。 神功皇后が、皇子、應神天皇を降誕したが、皇子に飲ませる乳が足りなかったので、武内大臣が、神々に祈願した処、或る日、神託があった。 「越国の南端の三尾の里に西向の滝がある。その傍に薬水がある。その水を乳婦に勧めよ。」との事で、武内大臣が、訪ね歩いた処、神託に違わず西向の滝と薬水の泉があった。 その薬水を乳婦に飲ませると神託の通り功験があった。 武内大臣は、天を拝して大いに喜び、「願はくば、此の良水を後世の養童に施さう」と誓われて、自ら、像を刻んで残された。 武内大臣は、三百余歳で没した。 雄略天皇の4年(482年頃)3月3日に当社に奉祀したという。 以後、「乳の神様」と信仰され、現在も、小袋に籾殻を入れて、乳房状につくって、母乳祈願や報賽をする人が跡を絶たない。 明治43年4月21日に南条軍堺村字稲荷山に鎮座の稲荷神社(祭神 宇賀御霊神)を境内社として遷座した。 福井県神社庁 |