白木は、新羅人が渡来し、此の地に住んだことによつて地名「シラキ」の名が起つたともいう。 白木は敦賀半島の西北端に位置し、北は日本海に面し他の三方は山を負い、近年まで福井県内でも最も交通不便の地であった。 白木集落は古来戸数が極端に少なく、貧富・階級の分離しない村落形態を保ってきた。 |
白城神社 創立年代不詳。境内より縄文式土器の破片が発見されているから、 弥生後期(一、二世期頃)には祭祀が行われていたであろう」とある。当社は式内社に比定され、 『越前国内神名帳』には「従五位白城神」と記載されている。 更に、橋本昭三『白木の星』によれば「白城神社は延喜式にその名を記しており、 昔、朝鮮半島に栄えた新羅の人達が、はるばる日本海を渡ってこの白木の浜に上陸して住んだといわれる。 福井県神社誌 |