第4代懿徳天皇23年3月8日伊豫国越智郡三嶋大明神の祠官、越宿禰成相翁稻鶴姫という夫婦が大神を勧請と伝える。 野坂岳に対する山岳信仰から、御嶽権現とも称されていた。 「だのせ祭り」は男衆が「だのせのせのやー」と合の手を入れながら太鼓を打ち鳴らし、田を耕す姿を表現する。市の無形民族文化財。 当社を式内織田神社に比定する説もある。 織田神社は『敦賀志』に「野坂村に座六社大明神是也」とも言われるが詳細は不明である。 六社大明神は明治9年7月17日村社に指定され、同44年1月23日に境内社の秋葉、蛭子の二社と共に野坂神社に合祀された。 |
野坂神社 由緒 掲示昭和7年11月 1.村社 野坂神社 敦賀郡粟野村野坂 1.祭神 大山祇命 天津彦火瓊瓊杵尊 木花開耶姫命 1.創建 懿徳天皇23年 1.由緒 懿徳天皇23年3月8日成相翁稻鶴姫と称する夫婦の勧請に係爾来当村の氏神として奉る式内神社として六社大明神と称す。 明治9年村社に列せられ明治44年5月神饌幣帛を供進すべき神社に指定せられ大正9年1月30日村社式内織田神社(七社明神)を合祀せらる。 1.祭日 5月5日 1.特殊神事 毎年1月8日氏子一統神前に集まり御田植祭式を執行す。 社頭掲示板 |
野坂神社 社伝に「懿徳天皇23年甲子3月8日伊豫国越智郡三嶋大明神の祠宮、越宿禰成相翁と稲鶴姫が大神を勧請し奉った」と、亦「延喜式内社の野坂神社は当社のこと」という。明治9年7月一17日に村社に列せられた。明治44年に蛭子谷鎮座の織田神社を合祀した。 福井県神社庁 |