三面川右岸の河口、断崖の下の海岸に位置し、対岸には式内西奈彌神社が鎭座している。 字名を多伎山を称し、断崖から高さ一丈の瀧が落下している。 式丙西奈彌神社の摂社と称している。 |
由緒 多伎神社 多伎神社は延喜式記載のお宮で1200余年の歴史がある。 祭神は、多伎津姫命であろうと言われている。神社のそばに滝があり、そこに滝不動の小祠もあったことから、瀬波のお滝様とも呼ばれ人々に親しまれてきた。 又、源義経主従の奥州落ちにまつわる伝説がある。一行がここで一息ついた時、弁慶が日本海の波の様子を眺め、「さても麗しき景色かな」と嘆賞し、社の扉に「観潮閣」と書き、また、「弘道」と書かれた板も明治の初期まで残されていたという。社の近くに、弁慶の硯り石、と名づけられている岩もある。 背後の社叢は、魚つき林、として保護されている。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
多岐神社 岩船郡内に8座の祭神があり、この一つが多岐神社で多岐津島姫命を祭ったと伝えられている。古くから漁を営む人々の信仰が厚く、毎年4月28日には厳かな祭が行われる。別名を観潮閣ともいい、これは源頼朝に追われた義経主従が奥州へ落ちのびる途中にこのお宮で林み弁慶が日本海を一望して観潮閣と大書して、社頭にかかけたことから名付けられたものといわれている。 社頭掲示板 |
鮭の宮まいり むかしから霜月(しもつき)の15日は、三面川のぬしである鮭太郎(さけたろう)が、瀬波の多伎(たき)神社と、宮の下の河内神社へおまいりする日だと伝えられています。 山の木の葉が色づいて、葉ずれの音がさみしく聞こえるころになりますと、三面川の水は水晶をみがいたようにすみ切って、腹に子をもった大鮭・小鮭が、荒れくるう海の住み家を捨てて、生まれた里であるこの川へ、群れをなしてのぼってくるのですが、霜月になりますと、銀貨のようなうろこを光らせて、鮭太郎は、次郎・三郎の鮭を先頭にし、大小の鮭をはじめ、数多くの魚族を従え、丈余の長身で水を切って川へのぼり、霜月の15日の月の出を待って、うやうやしく多伎神社の前に浮かんで礼拝三たび、さらに宮の下の河内神社におまいりして、また底知れぬ深いふちに沈んでしまうといっています。 この日は、漁師もあみをおろすようなことはしないで、多伎神社と河内神社に参拝し、大漁のあるようにと、願かけていのるばかりです。 また、瀬波の不動山多伎神社へは、まい年5・6月のころに、いく百と数知れない、いるかが、一列になって海上に浮かんでおまいりに来ます。これはいく百年も前からのことで、土地の人びとは 「いるかの不動まいり」 といっています。古老も 「実にふしぎだ。」 といい、 「さすが、神の国だけあって、魚まで神もうでする。」 と語っています。 http://www.city.murakami.niigata.jp/shougai/reki-bun/menu/iitsutae/sakenomiyamairi.html |