荒川の洪水などで社地を高い位置に変えていると伝。
かつては字宮田と称して神田四五町を所有していたと伝えられる。 『越後国式内神社案内』の著者藤原氏重が、天明年間に實地調査をし、小岩内村から一町ばかりのところに荒川神社があり、社地は荒れ方二間ばかりの祠があつたことを記している。 |
荒川神社 小岩内は荒川が山地から沖積平野に出る出口の扇頂部にあたり、ここから下流が荒川の氾濫原で、時代によつて大きく流路が変化した地点でもある。扇頂部は荒れ川を鎮める地として、理にかなう神社の立地條件である。 式内社調査報告 |