佐々木盛綱が加治の地頭職として補任し、その祖先を祀るため文治5年(1189)に創建したと言われ、式内社としての伝承はない。 |
加地城 加地城 (佐々木加地氏本城) 加治城は鎌倉時代初頭、越後守護職兼加治荘地頭職、佐々木三郎盛綱により築城され以来室町時代初めに至るまで、越後守護代、伊予(愛媛)備前(岡山)守護職佐々木加治氏の本城として隆盛を誇りましたが、足利将軍家の一族、関東上杉氏の越後入封以来、衰微の一途をたどりました 戦国時代上杉謙信の姉が加治春綱の室となり 再び隆昌の途についた矢先、上杉謙信公の急死に遭遇、天正8年暮一族五十公野氏の奇襲により落城 その後再建、天正15年(1587)9月7日(旧暦)上杉景勝の攻撃を受け遂に落城 慶長2年(1597)上杉景勝の命により加治氏は断絶 加治城は廃城となりました 註 1 諸国名を冠する加治氏、備前加治氏初め十九流 2 領地を姓とする分流新発田氏竹俣氏等五十氏を超える 3 大友稲荷社 加治城主三代加治實秀建立 4 藤戸神社 岡山県倉敷市藤戸町の地名より 5 順徳天皇の弟冷泉宮ョ仁親王妃加治實秀の子女 新発田市観光協会 社頭掲示板 |