もとは、沼垂町の王瀬山にあり、美久理神社といい、白山妙理権現と称したという。 天和年中(1681頃)海嘯によって水に没し、下所島へ遷座。その20余年後、現在地に遷という。 |
白山神社 白山神社由緒 御祭神 菊理媛大神 和合 結縁 治水 の神 天照皇大神 大日本史に依れば人皇12代景行天皇の御宇に「渟足ノ荘ヲ置ク」とあり本宮の創建もこの時代にありて今を遡る実に二千有餘年前の事なりかくて朝威北へ伸ぶるにつれ人皇36代孝徳天皇の大化3年には「渟足ノ柵ヲ造ル」と記録さるゝ如く當時の渟足は越後の一中心都であり本宮も亦一國の崇敬を鐘むる大社となりぬ然れば人皇60代醍醐の朝に於て一度延喜式の制成るや即ち式内社に列せられ越後の國沼垂郡の総鎮守の神として朝廷並び諸豪族の信仰誠に厚く後世上杉家溝口家よりは夫々社領を寄進し且つ礼を盡して祭事をとり行はせられて明治維新に至りたる由緒正しき神社なり 現在の本殿と拝殿は弘化4年に総鼾゙で再建本殿四方を飾る向拝左右獅子頭上り龍下り龍子持龍唐獅子等の彫刻は左甚五郎を通称さるゝ幕末の名匠熊谷源太郎の手に成る名作なり 社頭掲示板 |