この地には諏訪神社があり、明治22年11月5日金津村大字朝日無格社旦飯野神社を合併し旦飯野神社と改称した。 旦飯野神社は、もと若宮八幡宮と称された。その旧地は朝日地内の字若宮かその向いの普談寺(真言宗智山派)の地かといわれるが、どちらかは明確ではない。 |
旦飯野神社 旦飯野神社由緒 当社は延喜式内社で、越後56座の中の一つである中世は若宮八幡大菩薩とも称され古来有名な大社で地方信仰の中心となし境内地約2400坪は往古より守護不入の地として領主地頭も検地することもなかった境内には槻桜の樹多く中には高さ数十丈もあり夕陽にはその影が東方4Km以上にも及んだと云われ一本枝から臼が33個とれたという大樹もあつたそうであるしかし数百年の間に戦乱火災等で衰退し社殿も小さな祠となり建替えの資力もなく明治22年11月5日同じ朝日地内の諏訪神社に合併し社名を旦飯野神社と改称した明治32年社殿改築 明治41年村内の稲荷神社 石動神社下諏訪神社十二神社を合併した昭和5年村社に列せられる 延喜式式内社とは延喜5年西暦905年醍醐天皇の勅命により全国より神威の高い神社を国司の上申中より選び神祇式神名帳に登録され国家より祈年祭等に幣帛を奉呈されることが義務づけられた神社である。 祭神 誉田別命 建御名方命 事代主命 倉稲魂命 石動彦命 大山祇命 例祭日 9月19日 社頭掲示板 |