社殿は「巖石峨々たる嶺上」(『特選神名牒』)にあり、はるかに粟ケ岳をのぞみ、眼下には加茂川が流れている。 社域は切り立った断崖の上で,南北朝時代には新田氏の城塞であったと伝えられる。平安末期に破壊され,建保二年(1214),嶽山寺によって再興された。 |
岳山城跡 今からおよそ600年前(西暦1360年頃)南朝の後醍醐天皇をいただいた新田義貞と、これに謀叛して北朝の天皇を擁立した足利尊氏の間に勢力をめぐって争いが続いた。 この頃後醍醐天皇の第五皇子宗良親王は新田義貞の三男義宗とともに七谷に兵をおいた。 ここがその城跡である。 加茂市 加茂市観光協会 社頭掲示板 |