応徳2年(1085)6月中地頭三條左工門藤原定明が三條町地内字中島に築城の際、城の戊亥の方二の丸内に勧請。元和3年(1617)その他が信濃川洪水によつて欠壊したために現在地に移転と伝。 三条城は平安時代に三条左衛門が築き、前九年の役の後、安倍貞任の郎党、黒鳥兵衛が攻め落としたという。 三条城の所在地については信濃川の氾濫などによってわからなくなっており、中世の三条城は信濃川と五十嵐川が合流する地点の西側辺りと推測されいる。現在信濃川に架かる瑞雲橋から西へ進んだ県道1号線南側に「三条島ノ城跡」の石碑が建っている。 |