論社に西川井村にも川合神社明口明神といふ社があり、川井を古くは川合と書したといふが、川合の地形ではない。「式内社調査報告」 |
明口神社 グラウンドの西側に明口神社(あけぐちじんじゃ)があります。学校より少し高い位置にあるため、境内から学校の様子がよく見えます。別の名を「川合神社」(かわいじんじゃ)ともいい、これが大変に由緒深いお宮さんなのです。今から1000 年以上も前に中央政府が 「延喜式:えんぎしき」という国の大切なことをまとめた本を作り、そこに全国の有力な神社が書き上げられました。そうした有力神社を「式内社:しきないしゃ」といいますが、(南・北・中)魚沼郡全体で5つの神社(魚沼神社・大前神社・坂本神社・伊米神社・川合神社)しか書き上げられていません。その一つである川合神社の有力な推定地が、この明口神社といわれてきました。上杉謙信のころの棟札(むなふだ)も伝えられているとのこと、明治 16 年に県へ届けた「神社明細帳」(県立文書館所蔵)という記録には氏子数208戸とあります。おそらく、氏子(うじこ:その神社と関係をもつ家)は川井地域全体に及んでいたものと思われます。かつて、お祭りの日にはこの鎮守の森に大勢の村人が集まり一晩中踊りあかしたそうです。また、相撲大会や夏休みには境内で子どもたちの「鎮守の森朝勉強会」なども行われたと聞きました。今年5・6年生が総合的学習で借用している水田の近くには神主の池田家の屋敷がありましたが今はありません。 明口神社は古くから川井地域の人々の生活を見守り、信仰を集めてきた心のよりどころでした。 シリーズ川井の宝物 |