八幡太朗義家が「前九年の役」(1051〜62)の際に愛馬の泥障(あおり)を献納して祈願をした。 信濃川と魚野川が合流する右岸にある。大正8・9年、上越線開通に当り境内が二分された。手前の拝殿敷地は昭和41年、さらに同複線化のために売収となり、旧地より南西約100mの崖下に新たに1200坪の地を得て社殿を造営し遷座した。 天水速女命がこの地へ来る際に、川を流れてきて山芋のつるにつかまり、川から上がったと云われる。それから、神は山芋を好むようになったといい、歳の数の山芋を奉納すると一生に一度の願いを必ず叶えて貰えるという。 |
川合神社 延喜式内 川合神社 約干年前の延喜格式での神社調査に載っている神社。由緒不群であるが、雄略天皇22年(478年)の創建といわれ、農耕の神の水波売命と武道の神の武甕槌命を併せ祀られています。 天喜年間(1053年〜1057年)八幡太郎義家(後の源義家)が奥州征伐のおりに、戦勝を祈って泥障(馬具の一種)を献納したところから別称「泥障大明神」ともいわれています。水の神、安産の神として古くから多くの人々の信仰を集めており、また、武の神として武運を祈願する人などで賑わいました。 社頭掲示板 |