諏訪神社
すわじんじゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】伊米神社 越後国 魚沼郡鎮座
   【延喜式神名帳】川合神社 越後国 魚沼郡鎮座

   【現社名】諏訪神社
   【住所】新潟県魚沼市四日町527
       北緯37度14分21秒,東経138度57分20秒
   【祭神】建御名方神 (合祀)少彦名命
   【例祭】8月25-27日 例大祭
   【社格】
   【由緒】

   【関係氏族】
   【鎮座地】

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】

諏訪神社の本殿内丸柱に戊辰戦争「小出島の戦い」によるとする弾痕が残っている。
式内社伊米神社、式内社川合神社の論社である。


丹後跳ね越しの石

慶長5年(1600)8月2日、上杉遺民一揆の戦乱に下倉山城を守る城将小倉主膳の苦戦を救おうと、六日町の坂戸城から堀丹後守直竒が援軍を率いて駆けつけた。破間川原の激戦中、丹後守は大石に身を寄せ鉄砲で自分をねらい撃とうとしている敵兵を発見、真正面から立ち向かい、平安城という名槍を投げつけた。同時に敵が発砲、丹後守の馬は大石の直前で竿立ちになり、石と敵兵を一跨ぎに跳ね越した。間一髪で敵弾はそれ、槍は敵の胸板を貫いて穂先は土に突き刺さった。
 のちに丹後守は村上十万石の領主となり、参勤交代の往き帰りに、「この石は、わしの命を救ってくれた石じゃ」 と懐かしみ、馬で跳び越えてみるなどした。
 時代は下って元禄の頃、丹後守の子孫堀左京亮が、先祖のほまれを刻むこの石を身近に置きたいと、運び出そうとして時、四日町の村人は、「この石は『丹後跳ね越しの石』と申しまして、馬の病気を治してくれる大切な石ですから、持ち出さないで下さい」と願った。その頃村人は丹後守をその法名「鉄団宗釘大居士」からとって「鉄団様」と呼んでいたが、この石のくぼみに大豆を入れて水に浸し、「南無、鉄団様、跳ね越し給え」と柏手を打って祈り、一晩おいて馬に食べさせると病気が治ったという。子供の夜尿にも同様のまじないが行われてきた。「そのような大切な石なら、川原に置いて洪水に流されでもしたら大変じゃ。神社の境内に運んで置け」という堀左京亮の指示で境内に運ばれ、大切にされてきたものである。

社頭石碑



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