魚沼神社
うおぬまじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】魚沼神社 越後国 魚沼郡鎮座

   【現社名】魚沼神社
   【住所】新潟県小千谷市土川699
       北緯37度18分18秒、東経138度47分16秒
   【祭神】天香語山命
   【例祭】8月16日 例祭
   【社格】旧県社 越後二宮
   【由緒】崇神天皇の御代創建
       大同3年(808)社殿改築
       永禄5年(1562)上杉輝虎社領寄進
       慶長3年(1598)堀直政社領寄進
       慶長16年(1611)松平忠輝社領寄進
       慶長19年(1614)大久保石見守社領寄進
       明治初年県社兼郷社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「上彌彦大明神」と称していた
   【社殿】本殿神明造
       幣殿・拝殿・神輿舎・神門

   【境内社】

もと「上弥彦神社」と呼ばれ、中世には武家の崇敬をあつめた。
境内の阿弥陀堂(重文)は、元神宮寺の別当池源寺の阿弥陀堂。
魚沼神社、坂本神社と、八海山をとりまく数社の八海山神社とは古来式内をめぐつて異論多く、分別困難である。「式内社調査報告」


魚沼神社阿弥陀堂

重要文化財魚沼神社阿弥陀堂
この建造物は、元神宮寺の別当池源寺の阿弥陀堂で、内陣には阿弥陀如来と大日如来が安置されている。
このお堂は、斗供その他絵様繰形に室町時代末期の特色をあらわしており、特に内陣頭貫は初期的形式をもち様式史上貴重な資料とされている。
昭和29年(1954)、解体修理工事の際、実肘木に永禄6年乙丑(1563)の文字が確認されている。
軒の出が極めて短いのは、豪雪地帯特有の配慮と思われる。縞つき挙鼻・象形の頭貫鼻・梁や肘木の丁寧な絵様は注目に価する。
構造形式
桁行 三間 梁間 三間 高さ7.13m
一重 宝形造 茅葺
小千谷市教育委員会

社頭掲示板



魚沼神社

神輿
昭和47年4月1日 市文化財指定
魚沼神牡には由緒ある宝物が多くあるが、この舎にある神輿もその一つである。
この神輿の天井板には明応4年乙卯年4月(1495)の墨書があり神輿としては稀にみる古いものである。
しがし文化14年((1817)に大修理を行なっており、そのさい屋根が当初の様式を失ってしまったことが惜しまれる。神輿の高さは約1.8m重さは約150Kg。屋根の上には鳳凰の飾りがある。
昭和50年6月
小千谷市教育委員会

社頭掲示板



魚沼神社

安永9年(1780)3月、神主五十嵐大炊助珍昭は、三宅神社神主星野大内藏を証人として一社の由緒証拠書類を持参し、京都吉田家に対し、古來上彌彦大明神の社號に、更に魚沼神社を書加へることの許可を願ひ出で、「萬一當郡中より同社號之儀願出、以御吟味之上被成下候儀者、於私少も所存無御座候、若又私方之社頭右神社二無之旨申之、私方より差上候証拠よりも打越候証拠を申立、右神社號御許容可被成下様二罷成候ハバ私江御書加被成下候御許状被召上如何様二も御作法次第可被仰付候云々」と、當社以上の有力な式内の証拠をもつた社が出た場合は、當社の魚沼神社社號の取消について何等異存がないとの一札であり、魚沼郡北部の有力社であつた當社が式内魚沼神社不分明の状況を承知した上で名乗り出たことが明らかであり、安永以前、上之彌彦大明神と呼称してゐた當社は、それ以後「魚沼神社彌彦大明神」を標榜するやうになつた。

式内社調査報告



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