海に面した急峻な崖の途中にあり。日本海を一望する。集落の背後に鎮座する。大国主の命がこの地に来られ佐渡を平治しようとしたが、海を渡る船がない、そこで、石井の井戸の水を汲んで撒くと一夜で12株の大樹がそだった。12株の大樹の辺(現井鼻)に宮を建てた。和銅4年現地へ遷。 |
石井神社 石井神社と橘屋(良寛の生家) 神代の昔、各地を平定した大国主の命が、この地に来られ佐渡ヶ島を平治しようとしたが、海を渡る船がない。そこで、石の井戸の水を汲んで撒くと一夜にして12株の大樹が茂った。その霊樹で船を造り海を渡って平治したと伝えられており、その時、大小の魚が船を守り助けたので12株の大樹の辺(現在の井鼻)に宮を造り海上守護の大神を祀った。和同4年に現在の地石井町に移されて以後、神事は名主橘屋山本家が司ってきた。毎年6月17・18日の両日に行われる。石井神社の大祭は元禄3年社領米をもとに橘屋山本家によって始められ、約300年続いている。神輿渡御や100軒近くの露店で、今なおにぎわいをみせている。 出雲崎町 社頭掲示板 |
石井神社 B石井神社遷座年記略伝より…………建速須佐之男命の曾孫、大国主之命が頚城(居多)よりこの里に移りたもうて海面の孤島(佐渡)を平治せんと欲し給えど船を造る巨木の無いのを憂いられ宮居近き石井の水を大地に注ぎ給いしに、不思議にも一夜のうちに12株大樹が忽然と生えた。其の霊樹で船を造りて島へお渡りになった。その時大小の魚族がお船を佐け護り、無事にお渡し申したので、その孤島をタスケワタシ(佐渡)の島と云いまた、鱈をスケトウと云う。佐渡を平定し去られるに臨み、この地・かの島を往来するには良き処である、航海の船を保護せんと云々。12株の石井の辺りに宮造りし海上鎮護の大神と崇め奉る。其の旧地は井之鼻の十二林山と伝えれれている。 C式社考証より…………出雲崎の十二神は延喜式三島郡石井神社なり。旧井之鼻にありて出雲大神を祀る。和銅四年現況に移すと云えり。しかし地理を察するに古の三島郡の地にはあらず。井之鼻と云うに付けて石井神社に引当、石井町の名も命ぜられしならん……。と「大日本地名辞書」に吉田博士が述べられています。 出雲崎編年史A |