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社伝に、伊予国越智郡一宮、三島大明神を勧請したという。 もと石地駅の東五里、三島谷村に在つた社を元禄年中、稻葉丹後守正通が現刈羽郡鵜川荘劔野村に移し、新たに祠廟を造営し社領を寄進した。 |
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由緒 延喜式内社三島神社の由緒 祭神。大山祗命。当社は奈良時代の天平13年(741年)愛媛県越智郡の三島大明神、現在の大三島の大山祗神社の別幣帛を勧請したに淵源し延喜式(927年撰上)に三島神社と記録されている。往古刈羽郡は三島郡(みしまぐん)と呼称したがその郷社として郡民権門武将らに篤く崇敬されてきた。明治6年県社となり戦後の変遷を経て今に栄える。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
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三島神社 延喜式内社 三島神社の由緒 祭神 大山祇命 当社は 奈良時代の天平13年 741年 愛媛県越智郡の三島大明神 現在の大三島の大山祇神社 の別幣帛を勧請したに淵源し 延喜式 927年撰上 に三島神社と記録されている 往古 刈羽郡は三島郡と呼称したが その郷社として 郡民 権門 武将らに篤く崇敬されてきた 明治6年 県社となり 戦後の変遷を経て 今に栄える 敬白 社頭石碑 |
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三島神社 社伝によれば、伊予国越智郡一宮の三島大明神の分霊を祭った社であり、天平13年(741)の創建と伝えられている。祭神は大山津見命である。「延喜式神名帳」(927)には、三島郡六座の一つとして登載されており、式内社(「延喜式神名帳」に記載ある神社」であるとする説が有力である。 室町時代には宇佐美氏、その後長尾為景、上杉景勝、堀秀治及び高田歴代藩主の崇敬保護を受けたとされ、このことは同社にある堀直政の田地寄進状(1658)等の古文書からもうかがい知ることができる。 明治6年(1873)に県社となるが、その後の火災や台風によってそのころの面影を失っている。現在の社殿は昭和6年(1931)の再建である。 社頭掲示板 |