多多神社
たたじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】多多神社 越後国 三島郡鎮座

   【現社名】多多神社
   【住所】新潟県柏崎市曽地1325
       北緯37度24分16秒、東経138度38分19秒
   【祭神】神八井耳命 (配祀)神日本磐余彦尊
       (合祀)表津海都見命 中津海都見命 底津海都見命 表筒男命 中筒男命 底筒男命

   【例祭】4月14-15日 春季大祭 9月14-15日 例祭
   【社格】
   【由緒】由緒不詳
       天正年間焼失

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「六社明神」「六所権現」と称していた
   【社殿】本殿流造板葺  室町時代の古建築(重要文化財)
       拝殿

   【境内社】

影行天皇の御代、日本武尊の御東征の際、吉備武彦に随従して遣わされた、多臣襲木彦が此の地の里長の女を娶り、此の地に留まりて御祖神、神八井耳尊を斎奉り、神日本磐余彦尊を配祀し奉り、多多神社と称したと云う。


由緒

多多神社由緒
多多神社の創立年代は天正年間の兵火による社殿、諸記録類の焼失で不明確となる。しかし口伝によれば、影行天皇の御代、日本武尊の御東征の際、吉備武彦に随従して遣わされた、多臣襲木彦が此の地の里長の女を娶り、此の地に留まりて御祖神、神八井耳尊を斎奉り、神日本磐余彦尊を配祀し奉り、多多神社と称したと云う。
現存する本殿は、天正年間焼失後、末社の社殿を移建されたものであるが、棟札によつて永正16年(1519)に建てられたことが明確である。流れ造りの小さな社殿で、覆屋で保護されてきたため、建立当時の姿が完全に残されている。身舎の間口は1.7m、奥行は1.06mで正面と側面に縁と高欄をめぐらしている。面、大取りの向拝は柱に頭貫をとおし、三斗を用いて桁をうけ、向拝柱とのつなぎには、海老虹梁をかけ、垂木は二軒、身舎の正面と向拝の斗供の間には彫刻、蟇股をもちい、妻には、大瓶束に笈形をかけ、柱上部の頭貫や、つなぎ紅梁の先端には、木鼻をほどこしている。流れ造りの正統をふむ室町時代中期のすぐれた社殿であり、部分的には鎌倉時代の古調が残り、宝珠や木鼻彫刻に地方色がうかがわれる点も注目される。昭和31年3月、新潟県文化財指定、昭和33年、国の重要文化財の指定を受ける。昭和52年国費2800萬円をかけて根本的な解体修理とあわせて防災工事も終えている。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



多多神社本殿

多多神社本殿一棟
 多多神社は、大同元年(806)の創立と伝えられているが、現在の本殿は棟札によって永正16年(1519)に建てられたことが分かっている。度々修理がなされ、一部改変されていたが、昭和52年に解体修理で、元に戻した。
 流れ造りの間口一間ほどの板葺き屋根の小さな社殿は、覆屋で保護されてきたため、創建当時の姿をよくとどめており、室町時代中期の神社建築の特徴をよく示している。向拝柱、方位や脇障子柱の大きな面、かえる股や木鼻のデザイン、海老虹梁の形などに時代の特色がよく見られる。

社頭掲示板



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