影行天皇の御代、日本武尊の御東征の際、吉備武彦に随従して遣わされた、多臣襲木彦が此の地の里長の女を娶り、此の地に留まりて御祖神、神八井耳尊を斎奉り、神日本磐余彦尊を配祀し奉り、多多神社と称したと云う。 |
由緒 多多神社由緒 多多神社の創立年代は天正年間の兵火による社殿、諸記録類の焼失で不明確となる。しかし口伝によれば、影行天皇の御代、日本武尊の御東征の際、吉備武彦に随従して遣わされた、多臣襲木彦が此の地の里長の女を娶り、此の地に留まりて御祖神、神八井耳尊を斎奉り、神日本磐余彦尊を配祀し奉り、多多神社と称したと云う。 現存する本殿は、天正年間焼失後、末社の社殿を移建されたものであるが、棟札によつて永正16年(1519)に建てられたことが明確である。流れ造りの小さな社殿で、覆屋で保護されてきたため、建立当時の姿が完全に残されている。身舎の間口は1.7m、奥行は1.06mで正面と側面に縁と高欄をめぐらしている。面、大取りの向拝は柱に頭貫をとおし、三斗を用いて桁をうけ、向拝柱とのつなぎには、海老虹梁をかけ、垂木は二軒、身舎の正面と向拝の斗供の間には彫刻、蟇股をもちい、妻には、大瓶束に笈形をかけ、柱上部の頭貫や、つなぎ紅梁の先端には、木鼻をほどこしている。流れ造りの正統をふむ室町時代中期のすぐれた社殿であり、部分的には鎌倉時代の古調が残り、宝珠や木鼻彫刻に地方色がうかがわれる点も注目される。昭和31年3月、新潟県文化財指定、昭和33年、国の重要文化財の指定を受ける。昭和52年国費2800萬円をかけて根本的な解体修理とあわせて防災工事も終えている。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
多多神社本殿 多多神社本殿一棟 多多神社は、大同元年(806)の創立と伝えられているが、現在の本殿は棟札によって永正16年(1519)に建てられたことが分かっている。度々修理がなされ、一部改変されていたが、昭和52年に解体修理で、元に戻した。 流れ造りの間口一間ほどの板葺き屋根の小さな社殿は、覆屋で保護されてきたため、創建当時の姿をよくとどめており、室町時代中期の神社建築の特徴をよく示している。向拝柱、方位や脇障子柱の大きな面、かえる股や木鼻のデザイン、海老虹梁の形などに時代の特色がよく見られる。 社頭掲示板 |