都野神社
つのじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】都野神社 越後国 古志郡鎮座

   【現社名】都野神社
   【住所】新潟県長岡市与板町与板乙6044
       北緯37度32分13秒、東経138度48分27秒
   【祭神】田心姫神 湍津姫神 市杵嶋姫神 (配祀)誉田別尊 息長足姫命
   【例祭】9月14-16日 秋季例大祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】貞治年中(1362−68)字八幡平に遷座
       寛永年間(1624−44)現在地に遷座
       天保7年(1836)大火で社殿類焼
       天保11年(1840)9月本社再建
       嘉永元年(1848)幣殿・拝殿再建
       明治6年11月村社
       大正7年12月郷社

   【関係氏族】
   【鎮座地】元は裏山の頂上にあった
        貞治年中(1362−68)字八幡平に遷座
        寛永年間(1624−44)現在地に遷座

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「津ノ明神」「八幡宮」と称していた
   【社殿】本殿
       幣殿・拝殿・神輿殿

   【境内社】神明宮・金山神社・牛頭天王社・稲荷社・天満宮・秋葉社

本殿背後は八幡公園となっており、巨石が多い。往古はこの頂きに鎮座していた。与板八幡と称した。例祭の登り屋台は壮観である。


由緒

与板郷総鎮守 都野神社由緒
与板郷総鎮守 都野神社(八幡宮) 元郷社 新潟県三島郡与板町大字与板鎮座
御祭神
築紫宗像姫三柱大神 田心姫神 湍津姫神 市杵島姫神
合殿 誉田別尊(応神天皇) 息長足姫命(神功皇后)
御神徳と由緒
都野神社は津の里の明神、式内社に推される。万治2年(1659)の記録に大津の荘、与板村とあるように、当地は信濃川ぞいにあって、津の里とよばれ、蒲原方面からの舟運の要地であった。当地より上流は流れも急になり、舟の運航もむずかしく、ここからは陸上交通にうつり、北陸路、上方への道中の中継点であった。当神社の御創建の起源は不祥であるが、裏山八幡公園の中腹から縄文式土器が出土したり、また、今から千年ほど前に編された延喜式神名帳に都野神社の称号が登載されている(式内社)ことから、その頃すでに与板郷の鎮守様として奉祀されていたことが推される。その当時の社殿は裏山の頂上にあって、御神前に供える灯明が往来する舟に灯台の役目をしていたといわれる。
道中安全の守護 水の守護 農耕、産業の守護 御祭神築紫宗像姫三柱大神の御本社は宗像大社(元官幣大社、福岡県宗像郡玄界町田島鎮座)で、安芸の宮島厳島神社(元官幣中社)の御祭神でもあらせられる。社記によれば、御祭神は天孫降臨のおり道案内をつとめられた神々で、その御事蹟から、水上、陸上の交通安全の守護神、潅漑用水、農耕、商工業の守護神として、津の里与板の地に奉祀された。また厳島信仰の弁財天にもたとえられ、才色兼備、容貌の美、芸能の神でもあらせられる。 御神詞(汝助け奉り、斎かれよ)
相手を助けて、相手から助けられよ、互譲互助の心である。世の中のことは、まず自分を考える前に、相手を立てることが大切である。相手はそれに応じて自分にもよくしてくれるのが、人生自然の道理である。またこのことは(譲り合う心に事故はない)という安全運転の心構えにも通ずる。
八幡宮の御祭神が合祀されて、与板の八幡様 戦国時代、上杉氏の智将直江山城守兼続、与板の城山に築城するや、九州宇佐八幡宮より御祭神(応神天皇、神功皇后)を勧請し、八幡宮の称号も奉り、以後与板の八幡様が当神社の通称となる。御祭神は大陸交渉の御事蹟から武の神、文化興隆の神と仰がれているが、御二柱は母子神の関係であらせられ、母が我が子をはぐくみ育てる慈愛の信仰につながる。登り屋台で引き手の親が子供を背負って、我が子の健やかな成長を祈るのも、この信仰のあらわれである。
現社殿は天保11年(1840)の建築。
天保7年(1836)の大火で社殿類焼し、ときの第八代藩主、井伊直経公率先その復興にあたられ、また大阪屋をはじめ豪商の奉賛をを受け再建が行なわれた。これが現在の社殿である。そのとき、豪商のひとり丸津、中川正甫が熊谷宿小林斎源太郎なる彫師を招き、数年の歳月をかけて彫刻させたものが、現在与板町指定文化財になっている本殿および向拝の彫刻である。宏壮たる樹木、壮大なる社殿、総欅造り、精密な彫刻が施された御本殿、いずれも与板郷総鎮守たるにふさわしい偉容である。やがて社殿再建150年を迎えるにあたり、昭和51年より社殿及び境内の大改修が昭和の記念事業として、町内外多数の御奉賛をいただいて遂行された。古き歴史に輝く文化財の保存とともに面目一新、尊厳なる規模に整備された。
本殿の構造
三間社流造、正面千鳥破風、唐破風
神事と芸能
春祭り(4月14日〜15日)
夏祭り(7月15日)
神代神楽 前二祭の神賑芸能として、近郷の神楽保存会の人たちによって奉奏される。素朴な、おおらかな神楽で、与板郷の貴重な民俗芸能である。
人形流し(6月30日、12月31日)
6月は夏を健康ですごす(夏越大祓祭)ために、12月は新しい年を迎える(年越大祓)ために、氏子崇敬者が心身の穢れを人形に託して神社に納め、午前O時を期して、信濃川の清流に流す。
十五夜祭り(秋祭り、9月14日〜15日) 当神社の年中最大の祭りで、町主催の与板十五夜祭りと合体して行なわれる。
神輿渡御(9月15日) 天明7年(1716)京都で制作、大津、敦賀を経て新潟、与板と舟路で届いた神輿の渡御である。神輿組の奉仕で氏子区域を巡行するが、近年おちご様の参加がふえ、はなやかな、ほほえましい子供パレ−ドでもある。
社壇
 登り屋台 舞台(9月14日、15日両夜)与板の豪商が上方に商いに行ったおり、祇園祭にヒントを得て、出したのが始まり。ときに宝暦7年(1757)、夜のとばりがおりると、三台の屋台にそれぞれ百名近い青少年が乗り込み、社壇のお先祓神楽を先導に百余名引き手がお囃子にあわせて町内を練って神社へ登る。神社の屋台坂にさしかかると、万灯のゆらぐなか笛、太鼓の拍子にあわせて勇壮な登り行事が展開される。まさに圧巻、観るよりも参加の祭りである。なお、大人数を動かす行事であるため、危険防止にはいろいろな手立てが工夫され、先人の知恵がうかがえる。たとえば、一台の屋台が登りきって定位置に奉納されるまでは、次の屋台は絶対に動かしてはならぬなどの厳しいきまり、また、屋台は組み立て式で、釘を使わず、適当な遊びをもたせるなど構造力学の妙が駆使されている。三台の屋台が奉納されると舞台で芸能が始まる。かつては、三台の屋台にも仮設の花道をつけ、歌舞伎を上演し、観客は回り舞台のようにぐるぐる回って観覧したものだが、今は舞台のみの上演である。
その他のおもな祭事
歳旦祭(1月1日)
月次祭(毎月1日、15日)
初午祭(2月)
天神講祭(2月25日)
みたまとうろう祭り(8月15日、靖国慰霊、平和祈願祭)
初穂講祭(10月)
金山祖神祭(11月8日)
七五三祭(11月15日)
除夜祭(12月31日)
境内社
神明宮(天照大神)
唯一神明造 天保年間再建 南新町、北新町鎮守神
金山神社(金山彦命、彦火々出見命、見野命)
与板町の特産打ち刃物の祖神を祀る創祀昭和52年、南宮大社より勧請。
金比羅宮(大物主命)
金山神社に合斎。かつて与板の舟運盛んなりしとき、讃岐本宮より勧請。
天満宮(菅原道真公)
学問、文化の神として、天保年間、京都北野天満宮より勧請。
稲荷社(宇迦之御魂大神)
京都伏見稲荷大社より勧請。横町鎮守神。
城山稲荷社里宮(総御影石造)
本宮は城山山頂鎮座。乙部地区農家鎮守神。
午頭天王社(建速須佐之男命)
島虫様 鮮魚組合鎮守神
境内規模
広さ 1277坪(4221平米)ほかに裏山八幡公園 二反八畝二十歩(2843平米) 慰霊碑 祖国の万世太平を築かれた与板出身の御英霊を祀る
八幡公園
文久元年(1861)の開設 老松あり、桜あり、竹林あり、自然の風致にすぐれ与板町民いこいの名所である。頂上に上水道の配水池があり、与板西山ハイキングコ−スの起点でもある。戦後、篤志家の寄進により復活、現在氏子有志により築庭事業がすすめられている。
書家の訪れがたえない境内
良寛詩碑
良寛生誕二百年を記念して、昭和33年、公園中腹に建立、格調の高い名碑である。進斎八尾先生之碑
中村梧竹書 明治22年10月建立
道祖神碑
貫名苞書 安政己末6年仲春建立
宝物
五十嵐俊明筆・双額・菅原道真公自画像・本殿欄間彫刻(熊谷宿 小林斎源太郎作)与板町指定文化財

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



都野神社

祭神 築紫宗像姫三柱大神 合殿 譽田別尊 息長足姫命
例祭 9月15日(十五夜まつり)名物登り屋台は壮観である
社宝 本殿総欅造熊谷源郎の彫刻(与板町指定文化財) 五十嵐浚明の双額
由緒 往古水陸交通の要地で大津の郷とよばれこの里の鎮守である。延喜式内社に推される。永正年間直江山城守宇佐八幡宮を勧請「八幡宮」とも称す。現社殿は天保11年(1840)の建築 良寛さまもしばし詣で「行至与板八幡宮」と詠ず。

社頭掲示板



都野神社の登り屋台

都野神社 秋の大祭
都野神社の登り屋台
 歴史の古い都野神社の年中行事の代表は秋の大祭。いまは町主催の行事と一緒の「与板十五夜祭り」となっている。秋風が立ちはじめる9月13・14・15日と続く祭りは民謡を皮切りに神輿渡御、登り屋台ヘとくりひろげられる。夜のとばりがおりるころにはじまる登り屋台は230年余の歴史が感じられる。宝暦7年(1757)に出はじめた伝統的見せ場は約10トンの大屋台を引き上げるとき。数百人の若者が勇み肌で屋台に乗りこんで綱を引く。神社の急な参道にさしかかると、笛・太鼓の囃子にあわせて屋台は万灯をゆらしながら勇壮に登る。まさに登り屋台で日本一を誇る圧巻。境内は熱気がみなぎり、屋台に乗る者、引く者、見る者が一体となって狂騒的エネルギーに酔う。
 近くの城山に戦国の英雄直江兼続の居城跡がある。本丸や土塁、空濠などが残り、山頂の老いた「城の一本形」とともに古を偲ぶことができる。整備された道はハイキングコースとして親しまれ、信濃川や守門連山の素晴らしい眺望を楽しめる

http://210.131.8.12/~shinano/visit/53tugi/18/1801.htm



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